台湾版書籍発表会

現在、世界はグローバル化とかボーダーレス化と呼ばれる時代に突入している。それは農耕型の日本人に突然、ジャングルに入って狩猟をやれといっているようなものである。

だからといって従来の仕事がなくなるわけではない。基本的な生産活動がなければITもマネーゲームもない。幸いにも基本的な生産活動は日本人のいちばん得意とするところである。

農耕民族の歴史は百年単位どころか一千年、一万年単位のきわめて長いものである。このように長きにわたって日本民族に培われた伝統的な美徳を失ったままで、21世紀の百年によりよき歴史がつくれるはずがない。

村社会というと悪いイメージで捉えがちだが、それは農耕民族の生活様式から自然に発生したものである。みんなが助けあったり情報交換をしあったり、あるいは天地自然によって支配されるものがあるなら、それに従うのが当たり前のことなのだ。そうした積み重ねのうえに、日本の風俗習慣や倫理感がある。この大切なものを再評価しなくてはならない。

ただし、世の中の流れに逆らうのはむずかしい。価値観が変わることもある。昔と比べて今は自由平等の社会、民主主義の社会であるから、従来の秩序をそのまま持ち込むわけにはいかない。しかし世紀が変わろうが、人間社会のなかで何が大切かという基本的なことは、そんなに変わるものではない。日本人がもともと持っていた美徳であるから、それほど苦労しなくても再生できるだろう。古き良き美徳を、身をもって体現してきた人たちがまだ生きているのだ。

ただし、生きているあいだにやり直さなければ伝統は途切れてしまう。ゼロからつくり直すのはほとんど不可能である。だからこそ早急に再評価して取り戻す努力を始めなければならない。

人間にはそれぞれ適性がある。時代の変化に対応して一人ひとりが自分の適性を磨いて、それぞれの役割を果たさなければ、日本はグローバル世界で勝ち残れない。このような発想の転換をすべきである。

グローバルな世の中で渡り合っていけるように、基本的な日本人のDNA(倫理感・美徳)を持ち、尚且つずば抜けた素質のある人については、みんなで協力してその資質を伸ばし、国際舞台で活躍できる人間に育成することである。誤解を恐れずにいえば、エリートにエリートの教育を受けさせることである。

走るのが速い人には特別な練習をさせて、高橋尚子さんのようにオリンピックで金メダルを取ってもらう。ノーベル賞が取れるような才能ある人たちには、研究に専念できるように、できるかぎりのサポートをする。政治家や官僚、企業のエリート、研究者といった代表選手を育成し、彼らに一生懸命働いてもらおう。

そして選ばれた人間が最高の成果を上げられるように、最大多数である普通の人間は、けっして嫉妬せず、足を引っ張らず、みんなで応援しなければならない。もちろんエリートには十分な報酬を与える。私たちはごく普通の生活をするのだが、それでも私たちは彼らの成果を十分享受しているのである。

グローバルな世界で互角に渡り合える人材の条件は、緊張感に耐えられること、ネゴシエーターとしての素質があること、英語を自在に操れること、情報発信ができること、加えて専門分野の能力が高いこと、そして欲をいえば、押し出しがよくなければならないだろう。いくら農耕社会とはいえ日本の人口は多い。そういった才能を秘めた人材は少なからずいるはずである。このような人材を国を挙げて育ててこそ、はじめてグローバルな世界で日本の国益を追求し、守ることができるのだ。

こういう人材を輩出することによって、今後百年の日本の繁栄についての見通しが立つというものである。ところが一時期進められた「ゆとり教育」は、エリートの育成とは正反対の教育であり、「手抜き」ともいえる易きにつく教育だったのではないだろうか。この亡国の教育は見直しされたが「ゆとり世代」と呼ばれる若者たちを輩出した。

オランダの歴史家ホイジンガは、人間をホモ・ルーデンス(遊びをするヒト)と定義して、他の動物と異なる人間の本質は「遊びをすること」とする人間観を主張したことで有名だが、そもそも仲間同士群れて遊ぶなんてことは人間の本能のようなものなのだ。人間が「社会的動物」といわれる所以でもある。

遊ぶ本能を失った、子どもらしくない子ども、人間らしくない人間が増えつつある現在、ロボット的人間とでもいうような新人類が増えている。しかし「遊ぶ」のと「手抜き、安易」とは全く違うのだということを文部省の役人はじめ、一部の教育者がはき違えたのが問題なのだ。

理科系教育は若いころから基礎をしっかり積み上げることが必要だという。中国では文化大革命の時代、理科系教育に対する軽視のために、遅れを取り戻すのに数十年の時間を要した。大学で電子工学の教授をしていた亡夫は「一年手抜きをしたら、取り戻すのに三年以上かかる」と予言していた。あのまま「ゆとり教育」を続けていたら、日本はどうなっていただろう。

21世紀は嘗ての年月に比較して、想像もできないほど全てが目まぐるしく変化する。この時代を生きる者は発想を転換して「不易流行」の精神で日本の土台づくりに取り組むことだ。そうすれば日本には輝かしい前途が待ち受けている。

教育は国家百年の大業であり、成果が上がるまでに非常に時間がかかる。倦まず、弛まず、我慢強く、前向きに歩み続けなければならない。時代背景がどう変わろうが教育が基本であるのは絶対不変なのだ。

「なぜ台湾は親日なのか」を3回にわたり執筆してきましたが、「古き良き日本人を忘れない台湾」であることなどを読者の方々に少しでもご理解いただけたら、筆者としては嬉しい限りです。