思いがけない乳がん宣告、そして緊急手術へ-がんと向き合い、いまを生き抜く(アグネス・チャンさんコラム-第1回)

アグネス・チャン (あぐねす・ちゃん)

私は2007年9月に乳がんが見つかり、すぐ手術を受け、その後9年間にわたって治療を続けています。もちろん病気になるのは良いこととは言えませんが、そのことがなければ出会わなかった人々と親交を深め、また家族との絆を確かめることができ、かけがえのない宝物を得ました。それはすべて早期発見のおかげです。

なぜ私ががんを見つけることができたのか、どんな想いで手術や治療を受け、いまはどんな希望を抱いて人生を歩んでいるのか、3回に分けてお話させていただきたいと思います。

アグネス・チャン (あぐねす・ちゃん)

想像もしていなかった「自分ががんになる」ということ

私が歌手として日本で活動を始めたのが17歳の時です。やがてテレビから歌番組が減っていき、少しずつ活動の輪を広げていきました。そして1985年、30歳の時にエチオピアの飢餓地帯を取材したのをきっかけにボランティア活動や文化活動に興味を持ち、日本ユニセフ協会大使としてタイやスーダン、東西ティモール、フィリピン、カンボジア、イラク、モルドバ共和国などを視察し、その現状を世の中に伝える活動を行うようになりました。

乳がんの発見は2007年、とても精力的に活動を続けていた真っ只中でした。もともと私は健康優良児そのもので、大きな病気になったことがなく、肉親でがんになった人もいません。それだけに、「自分ががんになる」ということは想像したことがなく、がん検診を一度も受けたことがないし、がん保険にも入っていませんでした。

がん啓発イベントのおかげで、小さなしこりを発見

そんな私ががんを発見できたのは、「リレー・フォー・ライフ」というアメリカ発祥のがん啓発イベントのおかげです。2006年に日本で初めて開催された「リレー・フォー・ライフ」をNHKが番組で取り上げ、私はそこにゲストで出演しました。番組で紹介された主人公たちはすべて女性のがん患者で、中には末期の方もいらっしゃいました。自分自身が病気なのに、がん撲滅のために一生懸命活動に取り組む姿に深く感動し、その翌年、芦屋市で開かれた「関西リレー・フォー・ライフ」に自主的に参加したのです。

私が胸に小さなしこりを見つけたのは、まさにそのイベントに参加した翌週でした。家でテレビを観ていたら、右の乳房がかゆくて何気に掻いていました。以前なら「かゆい」で済ませていたに違いありませんが、「少しでも異状を感じたら病院で診てもらった方がいい」とイベントで言われていたので、念のためという気持ちで産婦人科に足を運びました。すると「ここでは詳しいことがわからないから」と総合病院を紹介され、正式な検査を受けたところ乳がんが見つかったのです。

手術後にわかったことですが、しこりはわずか4ミリ。周りからは「痛みもかゆみもないのが乳がんの特徴なのに、よく自分で気づいたね」とよく言われますが、自分でも奇跡だったと感じています。実は、前年の「リレー・フォー・ライフ」に参加していたがん患者さんたちと「来年も会おうね」と約束したのですが、何人かの方とはそれきりとなりました。彼女たちが天国から教えてくれたのかもしれません。「リレー・フォー・ライフ」での出会いに心から感謝しました。

乳房の全摘出も覚悟のうえ、生きるために手術室へ

不幸中の幸いで、見つかったがんはステージ1。本当に初期の初期でした。その年、私は日本デビュー35周年で、さらに日中国交正常化も同じく35周年ということもあり、平和コンサートツアーなどたくさんの仕事を入れていました。がんが発覚したとはいえ、とてもキャンセルできるような状況ではありません。そこでお医者様に「手術を何ヶ月か先延ばししたい」と話しましたが、首を縦に振ってはくれませんでした。もしその間にがんがリンパに転移してしまったら手術しても再発する可能性が高く、後遺症も重くなるから、早めに手術するべきという意見でした。その結果、偶然ですが10月1日のピンクリボンの日(乳がんの日)に手術することが決まったのです。

手術の前日、香港で医師をしている姉が病院を訪れ、「乳房をすべて摘出するべき」と主張しました。そのほうが後の治療も楽になるからというのが彼女の意見で、私もそれに賛成。乳房をなくすことは怖くありませんでした。それよりも、私には三人の息子がいますが、当時まだ小学生だった三男がせめて高校生になるまでは生きたいと強く願ったからです。

ところが、夫は猛反対。「ステージ1なら全摘出する必要はない」というのが彼の意見です。結局、議論に議論を重ね、手術でリンパにがんが転移しているかどうかをお医者様が確認し、それにより乳房を全摘出するか温存するかを判断していただくことになりました。

ですから、手術後に自分の乳房がどうなっているのか予想できないまま、私は手術室に入りました。そして手術が終わり、目が覚めた時、リンパへの転移はなく乳房の温存手術で済んだことを姉から告げられ、私は嬉しくて泣きました。

無事に手術は終了しましたが、ある意味、それからが病気との本当の戦いでした。先ほどお伝えした通り、仕事のスケジュールがめいっぱい入っていたため、手術から9日目にはイベントに出演し、10日目にコンサートを行いました。なぜか歌っている間は痛みを感じないものです。どんなに苦しい時も精神力で乗りきれるのですから、人間の体ってすごいなと思いました。そして翌年には、全国112ヶ所に及ぶコンサートツアー「世界へとどけ平和への歌声」を成功させることができたのです。

ただし、その後も放射線治療やホルモン療法を行う中で、様々な障害に悩まされました。詳しくは次回ご紹介します。また、私ががんになったことを知った時の子どもたちの反応、それを見て感じたこと、気づいたことなどもお話したいと思います。

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PROFILE

アグネス・チャン (あぐねす・ちゃん)

アグネス・チャン (あぐねす・ちゃん)

歌手、エッセイスト、大学教授

1955年香港生まれ。1972年「ひなげしの花」で日本デビューし、一躍アグネス・ブームを起こす。上智大学国際学部、カナダのトロント大学(社会児童心理学科)を経て、1989年には米国スタンフォード大学教育学部博士課程に進学し、1994年教育学博士号(Ph.D.)取得。1998年日本ユニセフ協会大使、2016年にはユニセフ・アジア親善大使に就任。現在、芸能活動に加え、エッセイスト、大学教授、日本対がん協会「ほほえみ大使」など、知性派タレント、文化人として世界を舞台に幅広く活躍。「スタンフォード大に三人の息子を合格させた50の教育法」(朝日新聞出版)ほか、著書は80冊以上に及ぶ。

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