どんな逆境の中でも大切なのは前を向くこと-笑いの世界で生き続けること。(林家 木久扇さんコラム-第2回)

林家 木久扇 (はやしや きくおう)

胃がんを克服してからは、以前にもまして高座やイベント、そして笑点をはじめとするテレビ番組の出演など、仕事に対する感謝の気持ちも深まり日々順調に過ごしてきました。でも、病気ってホント、突然やってくるんですよ。胃がんから14年、今度は喉頭がん。頭を後ろから殴られたような衝撃!まさに「後頭(喉頭)がーん」ってね(笑)。高座ではこうやって笑いを誘っているんですが、実際は噺家として声が出ない苦しさ、笑点を長期休業する怖さなど、その時の心境についてお話しをしたいと思います。

林家 木久扇 (はやしや きくおう)

がんって一人何回もなるものなの?

胃がんが治ってからは健康診断なども定期的に受けて、自分なりに体を気遣うようになりましたね。だからこの時もちょっと咳が止まらなかったので、「風邪気味なんで処方箋をお願いします」って自ら内科に行ったぐらいです。でも、薬を飲んでも咳は止まらず喉も調子が悪くなっちゃって。そんな僕を見てかみさんが「耳鼻科で診てもらったほうがいいわよ」って言うもんだから診察してもらったんです。前回もお話ししましたが、うちのかみさんは病気を見つけるのがうまいんですよ。そうしたら先生が「ちょっと怪しいので、大学病院で診察してもらいましょう」って。結局、紹介してもらった大学病院で内視鏡検査をした後、医師が内視鏡を使って撮った写真をモニターで見ながら「喉頭がんですね」と一言。「えっ!」って思いました。僕の中では「がんは一度なったらもうならない」と、なぜか強く思っていたんで。だから先生に「僕は胃がんをやってます。一人の人が二回もがんになるんですか」と真面目に聞いちゃいましたよ。そうしたら先生は冷静に「部位が違いますから」って。

喉頭がん治療と仕事への向き合い方

検査の結果、僕の喉頭がんはステージⅡ。治療法については、放射線のみ、放射線と抗がん剤、そして手術があるとのことでしたが、抗がん剤は髪の毛が抜けたり見た目の変化があることと、今回は手術ともに不必要だったので放射線のみの治療をすることになりました。基本、自宅からの通院生活。月曜日から金曜日の週5日間、通い続けること約3週間程度で喉頭がんは消えました。ただし、消えた声は戻りませんでした。その後もがんが散っている可能性もあるため、放射線治療は続けられ約7週間で終了したんですが、声が戻らない。心配になって、先生に筆談で「声はいつ戻りますか?」って聞いたんですが、「声がいつ戻るかは個人差もあって、いつ戻りますと断言はできないんです」という答えだったんです。

実際、治療中は声が出ないので噺家として全ての仕事は休業状態。胃がんの際も休まなかった笑点もついに休むことになってしまいました。高座にも立てない、あの笑点にも出演できない。噺家としての仕事が全くなくなりました。それは収入がなくなることを意味します。家族や弟子のことを考えると頭が真っ白になる瞬間でしたね。ただすぐに、「声が出ないなら何で稼ぐか?今まで噺家の合間にやってきたマンガや、文章を書くことをメインに何でもやって行こう」と考えたんです。「もう、前向きに出来ることを今は全てやって行こう」と。だから、今までお世話になった出版社や新聞社の方々の名刺を探して、手当たり次第に手紙を書くなど連絡させていただきました。結果、喉頭がんの治療と並行して、声を使わない噺家以外のさまざまな活動をさせていただきました。「学校寄席入門」という本はまさにその時に制作したもので、写真と文章で落語の内容を紹介し、多くの方々に落語の楽しさや歴史を伝えることができる作品となりました。

笑点を病欠する恐怖と復活の喜び

ただ笑点を長期休業することになったのは本当に参りましたね。収入はもちろんですが、精神的にとっても追い詰められました。笑点メンバーやプロデューサーは「早く帰ってきてください。待ってますよ」とは言ってくれましたが、実際の放送を見ると、僕のいるべき場所には座布団しかなく、とっても寂しい感じでしたね。始めの数回はそれでもいいでしょうけど、「そのうち違う人が座っているんじゃないか。僕の居場所がなくなってしまうんじゃないか」と、とっても不安でした。それでも、笑点は僕の声が戻るまで代役を立てることなく、ちゃんと待っていてくれました。そんな番組関係者の熱い想いに答えたくて治療中も腐ることなく前向きに過ごすことができたんだと思います。

だからこそ声が戻った時の感動は忘れません。それは突然やってきました。笑点のプロデューサーが声は出なくてもいいから、日本テレビの土曜昼のトーク番組に出てくれって言うんですよ。一緒に息子の木久蔵に出てもらって、声が出なかったら腹話術のように「うちの木久扇がこう言ってます」ってやればいいって。そんな番組収録の朝、かみさんがいつものように「お父さん、おはよ」って声をかけてきて、「おはよ」って僕が何気なく答えたんですが、なんとその時に声が出ていたんですよ。「あら、お父さん。声が出たじゃない!」ってみんなで大喜び。そのまま番組の収録に行って「こんにちは、林家木久扇です」って挨拶をしたとたん、司会者の久本雅美さんが「師匠!声が出てるじゃないですか!」ってこっちでも大騒ぎ。息子の木久蔵の立場は完全になくなっちゃいましたけどね(笑)。でもこれをきっかけにその後、笑点にも復帰。高座にも徐々に立つことができるようになりました。僕の復帰を待っていてくれた笑点メンバーや、プロデューサーをはじめ、ファンの皆さんには、いくら感謝しても足りないくらい感謝していますね。

喉頭がんという病気を通じて、家族や弟子はもちろん、噺家としてだけでなくいろいろな仕事で出会ったさまざまな方々に助けてもらい、今があることを実感することができました。声が出ない時に自分を助けてくれた絵や文章を書くこと、また生きることについての考え。それは今思えば幼い時の体験によって育まれていたような気がしますが、詳細については次回のお話しとさせていただきます。それでは、お後がよろしいようで。

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PROFILE

林家 木久扇 (はやしや きくおう)

林家 木久扇 (はやしや きくおう)

落語家

1937年東京都生まれ。1956年に漫画家の清水崑氏門下へ入門。1960年に崑氏の紹介で、三代目 桂三木助門下へ入門し、「桂木久男」の名で見習いとなる。1961年三木助氏没後、八代目 林家正蔵門下へと移り、前座となり、芸名を「林家木久蔵」に改名。1965年二ツ目に昇進し、1969年に日本テレビ「笑点」のレギュラーメンバーとなる。1973年真打ちに昇進。2007年には、「林家木久扇」と二代目「木久蔵」の親子ダブル襲名を果たした。現在は、(社)落語協会 相談役、(社)俳人協会 会員、クジラ食文化を守る会 副理事長、(社)日本漫画家協会 参与、(社)日本作家クラブ 評議員、日本トルコカッパドキア親善観光大使など、精力的に活躍中。

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