19歳という若さで子宮頸がん発覚。自分のライフスタイルを取り戻すまで-『子宮頸がん』から私を支えた“絆”(希良梨[きらり]さんコラム-第1回)

希良梨 (きらり)

19歳で子宮頸がんが発覚し、手術を経験。がん発覚後には日本を飛び出し様々な国を旅しました。現在は、育児と並行しながら、大好きな日本と台湾の両方を行き来して芸能活動も再開。家族や信頼できる仕事仲間に支えられ、年に3~4回ほど検診に行きながら、「私にできることがあれば」という気持ちでお仕事をしています。

このコラムでは、子宮頸がんが発覚してからの私のライフスタイル、出産から育児、現在に至るまでの心境を3回に分けてお話させていただきます。

希良梨 (きらり)
ブランド『SHIATZY CHEN』撮影中

思いもよらなかった19歳での子宮頸がん宣告。頭の中が真っ白に

がん発覚の最初のきっかけは、私の様子を心配した母が病院に連れていってくれたことでした。もともと14歳の頃からずっと生理痛が酷く、毎回座薬を入れるほど苦しんでいたんです。私も少しでも苦痛を和らげたいという思いで検査を受けたところ、細胞診で引っかかり子宮頸がんと宣告されました。

当時19歳の私は、「子宮頸がん」という事実を知って頭が真っ白になりました。どう受けとめていいのかわからず、ただただ「がん」という言葉のイメージから恐怖や不安がとめどなく湧いてきたのを覚えています。連れ添っていた母も、私を不安にさせないように平常心を装い励ましてくれましたが、娘の私には、心配している母の気持ちは手に取るようにわかりました。それでも母が、「今の時代、治療もするんだし大丈夫よ。私の娘なんだからなんとかなるわ」と気丈な言葉をかけ続けてくれたことはとても励みになりましたね。その言葉には、今でも救われることがあります。

がんは幸いにも早期発見だったので、「円錐切除」という手術で取り除きました。円錐切除とは、子宮から頸管に向かって円錐形に切開を入れて子宮頚部の患部を切除することです。手術で記憶に残っているのは、手術後、体におしっこを排出するための、「管」が通っていたこと。「管」を見て、「あ、手術直後は、自分でおしっこができないんだ」と感じた、そのときの印象は強かったですね。

当時は芸能活動も忙しい時期で、周囲に心配をかけられない状況。友人がお見舞いに来てくれてもどんな病気であるのかも言えず、「がんのことを誰にも言えないし言いたくない」という葛藤もある中での手術でした。

がんは切除できたものの、手術の直後では将来のビジョンなど考えられなかったし、ただただ「回復していくしかない」と思うばかりの、体調との睨み合いの日々。不安を抱えて過ごす中で、気づけば日本にいるのも嫌になってしまっていたんです。小学校4年生から芸能界に入って仕事をしていたので、芸能の仕事以外にも、色々な世界を見たかったですし、海外に行ってみたいという興味もありました。

未来が見えないまま海外に飛び出し、「旅」人生を始める

そんなとき、私の背中を押してくれたのは、母にかけられた「気分転換に海外に行ってきたら?」という言葉でした。

20歳から実際に旅を始め、世界を回った期間は合計すると5年間くらい。ニューヨーク、ハワイ、ロサンゼルス、プーケット……。本当にたくさんの国を旅して、そこで出会った人たちから受けた優しさに、だんだんと心の傷が癒やされていくのを感じていました。時には珍道中もあったりして、日本でのそれまでの生活の中にはない、様々な経験をすることができたのは「旅行」ならではだと思います。また、私の場合、特にアジアの国々に、興味を引かれました。

旅行自体は完全にプライベートでしたが、特に仕事をセーブすることはありませんでした。というのも、好奇心の強い私は、様々な国や地域を回りながら、心の赴くままに興味のある仕事に挑戦していったんです。例えば、特に記憶に残っているのは、サイパンにあるマリアナリゾート&スパというホテルで、ホテルのイメージキャラクターの仕事と並行してさせてもらった「マリアナスタジオ」での裏方の仕事。このスタジオはCMやプロモーションビデオ撮影などで使われる場所で、元々黒澤明さんが持ってらっしゃったという由緒ある施設でした。私はそこで制作に関わることから雑用まで、撮影コーディネーターのアシスタントとして何でもやりました。それまでずっと表に出る側の仕事をしてきていたので、初めて裏方の仕事に関わってみて、大変さも面白さも両方知ることができました。とにかく思い立ったら即行動してきたので、ここでもまたひとつ世界が広がりました。

初めは日本にいることが嫌になって海外を飛び出したのですが、海外にいると結局日本が恋しくなって、日本の良い部分を再発見できたのも大きな収穫でした。これだけきれいで安全な国は他にないし、今では「日本はなんて親切でサービス精神旺盛な国なんだろう」っていつも幸せを感じるんです。ただ、私にとって、一度海外で揉まれて、病気のことを考える時間を減らせたことは良かったと思います。病気のことを頭で考えすぎて執着してしまわないように、環境を変えてみることも時には役に立つのかもしれません。後押しをしてくれた母にも、感謝です。

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PROFILE

希良梨 (きらり)

希良梨 (きらり)

女優

1980年東京生まれ沖縄育ち。代表作にドラマ「GTO」「ギフト」映画「ラブ&ポップ」など。Kirariで歌手デビューを果たし、アニメ版GTOエンディングテーマに起用された「Last Piece」は台湾でも大ヒット。他「Toy Soldiers」などのヒット曲をリリース。2004年に海外へ生活の拠点を移し2008年台湾で結婚、翌年長男を出産。2012年に日本に帰国し、2015年に芸能活動を再開した。復帰のニュースは日本のYahooニューストップに!中華圏メディアも大きく報じた。オリンピック関連イベントテーマソングを歌い、日台政府イベントにも多数出演するなど、活動の幅を着実に広げる。新世代の日台アイコンとして活動中。

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