子宮頸がんを乗り越え出産まで導いてくれた「出会い」とは?-『子宮頸がん』から私を支えた“絆”(希良梨[きらり]さんコラム-第2回)

希良梨 (きらり)

前回は、19歳で子宮頸がんが発覚し、円錐切除という手術でがんを取り除いたこと、病気によるネガティブな感情からの気分転換になればと、海外旅行をスタートさせたことについてお話させて頂きました。

様々な国を回った後、私は台湾に惚れ込んで住み始めます。それは人生のターニングポイントになりました。今回は、台湾を大好きになった理由や、私の結婚や出産のストーリー、現在の子育てについてお話したいと思います。

希良梨 (きらり)
VOGUE FASHION'S NIGHT OUT TAIWAN 沖縄PR スペシャルゲストとして登場。

台湾との縁で結ばれ結婚。妊娠が発覚した瞬間に母としての自覚が芽生えた

様々な国で新しい価値観に出会い、毎日が珍道中で病気のことにフォーカスし過ぎることもなくなっていた頃、親友に誘われて台湾へ行きました。親友は日本で生まれ育った台湾人。彼に、いろいろなところへアテンドしてもらううちに、私は台湾の魅力の虜になりました。

台湾が好きなのは、とにかく人がみんな優しくて、街中で困っている人がいたら誰かが率先して手を差し伸べる文化があるところ。そういった「当たり前のことだけれど日本では忘れかけているもの」が台湾には残っている気がして、当時からそんなところに心惹かれていたんです。特に素敵だなと感じたのは、家族との向き合い方でした。台湾では、家族を第一に優先して大切にするんです。そんな文化に触れながら、私は、人の温かさを日々の中で身近に感じ、それに感動し、気付けばあっという間に1年程滞在していました。すっかり現地に馴染んだころ、縁があって、元々仕事関係の知り合いであり、パートナーとして支え合っていた台湾人男性と27歳で結婚。そして、翌年には妊娠が発覚しました。

円錐切除をして妊娠しにくい体になったと思っていたので、予想外の嬉しい驚きでしたね。夫婦でその気持ちを共有しましたし、検診で赤ちゃんの心臓の音を聞いたときには、「これから先どんなことがあっても、この子は絶対私が守ってあげよう」と誓ったのを覚えています。

治療を挟みながらも無事に出産。今は家族と一緒にいる時間全てが愛おしい

ところが、妊娠発覚と同時に高度異形成という子宮頸がんの前癌病変の状態であることがわかったんです。医師からは「今後状態が悪化するかもしれないから再度円錐切除の手術をした方がいい」と言われてしまいました。手術を検討したのですが、既に一度円錐切除をしている私は、すぐに手術を受けようとは思えなかったんです。というのも、手術を重ね、子宮頸管が短くなると、赤ちゃんを支えられず流産や早産の可能性があると言われていたから。私はお腹の子を優先することに決めて、手術に関しては「出産してから(手術を)受けます」と断り、代わりに1日で終わって体への負担も少ないレーザー治療を受けました。治療後も病状に変化がなく、高度異形成の状態のままでした。主人や私の母、家族は私の体を心配していましたが、私自身は、自分の病状が悪化してしまうのではという不安よりも、「赤ちゃんを守りたい」という気持ちが圧倒的に上回り、「今は手術をしない」という選択に迷いはなかったです。

そんな風にスタートした妊婦生活でしたが、妊娠の経過は順調でした。当時は、あまり長距離を歩きすぎないようにするなど、一般的な妊婦さんと同様に体に気をつけていましたが、その時期は日本の家族や、夫、そして夫の家族のサポートがとても支えになりました。私が病気のことをあまりオープンに話していなかったのですが、がんのことを知らなかった友人たちが、私の妊娠を喜び、お腹の子どもの成長を一緒に見守ってくれたことも、大きなパワーになりました。台湾の産婦人科の担当女医先生は「円錐切除をしていると早産の可能性があるので心配だ」と言っていましたが、ありがたいことに、結果的には特に大きな問題は起こりませんでした。

予定日より少し早まったものの、帝王切開で出産。子どもが産まれた瞬間に、自分が“母”に切り替わった感覚があって、思い返してみてもすごく不思議な出来事でした。妊娠して赤ちゃんの心臓の音を聞いたときと同じく「どんなときもこの子を守る」という母としての本能が冴え渡っていたと思います。ちなみに、海外での出産だったわけですが、食事の準備などを、出産期間は最初から最後まで主人がサポートしてくれたので、異国での出産でも不自由を感じることはなかったですよ。また、一時は悪化も心配されていた高度異形成に関しては、結局出産後も病状に変化はなかったため、手術をせずに様子を見ることになりました。

子どもの名前は妊娠中から主人が考えてくれていて、「SKY」と名付けました。台湾と日本という違う国同士も、空を通じて繋がっているから「SKY」。漢字で書くと「天」という字が入っているので“空”という意味と一緒なんです。素敵な名前をつけてくれて感謝しています。

出産後は母乳がよく出て、2年間あげ続けました。息子を抱いて母乳をあげているときは、改めて自分が母になったんだなぁと実感できる幸せな時間でしたね。慌ただしく育児に奮闘する日々は、もちろん大変なことも多いですが、子どもが成長するのはあっという間。短い期間でしかできないことだからこそ、楽しみながらやるようにしています。今では息子は小学生ですが、現在も、彼が生まれたときと変わらず、息子との生活の中で、すべての瞬間が愛おしいんですよね。どんなことでも母としての幸せがこみ上げてくる。もちろん、たまに息子を叱ることもあります。だけど、それもまたある種のコミュニケーション。息子や夫は、怒った私のことを、名前をモジッて「ギラリ」と呼ぶんです(笑)。だから私も息子を叱るとき、「もうすぐママは希良梨から“ギラリ”になっちゃうよ!」とユーモアを交えながら、シリアスになり過ぎずやっています。子どもと一緒に成長していけたらいいな、なんて思いながら、子育てをする日々です。

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PROFILE

希良梨 (きらり)

希良梨 (きらり)

女優

1980年東京生まれ沖縄育ち。代表作にドラマ「GTO」「ギフト」映画「ラブ&ポップ」など。Kirariで歌手デビューを果たし、アニメ版GTOエンディングテーマに起用された「Last Piece」は台湾でも大ヒット。他「Toy Soldiers」などのヒット曲をリリース。2004年に海外へ生活の拠点を移し2008年台湾で結婚、翌年長男を出産。2012年に日本に帰国し、2015年に芸能活動を再開した。復帰のニュースは日本のYahooニューストップに!中華圏メディアも大きく報じた。オリンピック関連イベントテーマソングを歌い、日台政府イベントにも多数出演するなど、活動の幅を着実に広げる。新世代の日台アイコンとして活動中。

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