最も有意義だった時代-豊かな人生の鍵は人との絆(松尾 雄治さんコラム-第1回)

松尾 雄治(まつお ゆうじ)

みなさん、こんにちは。松尾雄治です。

僕は子どもの頃からラグビーひと筋の人生を歩んできました。31歳で現役引退後、スポーツキャスターや成城大学ラグビー部の監督などを務め、最近では東北地方太平洋沖地震による被災地復興を支援するNPO法人「スクラム釜石」の活動にも取り組んでいます。還暦後は、東京・西麻布で会員制のダイニングバーを経営し、ほぼ毎日お店にいます。

このコラムのテーマは「真に豊かな人生とは?」とのことなので、これまでの人生を通じて、僕なりの考えをお話しします。

ラグビーを通じて、お互いを助け合う大切さを学んだ

僕は子どもの頃、勉強は一切せず、ラグビーだけしかやってきませんでした。というのも、うちの親父からそう仕向けられたんです。もともと親父には、“本を見ただけで得た知識は学びではない”という哲学があり、「勉強ばかりしている奴は、将来ろくな人間にならない」「お前は俺の息子で頭は良くないんだから、ラグビーだけやっていればいい」「人生で必要なことはすべてラグビーが教えてくれる」などとよく言われていました。

親父がそういう性格なので、僕が勉強をしていると怒って、ラグビーしかやらせなかったのです。まるで、アニメの『巨人の星』に出てくる星一徹のような熱血指導者でした。練習をサボろうものなら、何をされるか分かりません。そんな親父が恐ろしくて、少年時代の僕は毎日必死でラグビーの練習に励んでいました。

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ですから中学、高校時代は、ラグビーをやらされているという感覚が強かったんです。ただ今思うと、ラグビーをやっていて本当に良かったなと、つくづく思います。親父はよく、「ラグビーは人生の縮図だ」と言っていたんですが、まさにその通りなんです。ラグビーは、味方のプレーを助け合いながら勝利を目指すスポーツですが、人生も誰かの助けがなければ成り立ちません。今、目の前にいる人が何を考えているのか、勘を働かせながらその人の身になることをすれば、お互い幸せにつながりますよね。ラグビーを通じて、そういう大切なことを学べたのは、バーを経営している今の僕にとってすごく大きかったです。

それから、さまざまな人とのつながりができたこともそうです。ボールを味方同士でつなぐ、言わば、人の心をつなぐという要素がラグビーにはあります。なので、自然と仲間意識が形成されていくわけです。その仲間たちのおかげで今、幸せな日々を送れています。そういう意味でも、ラグビーに出会えたことにはとても感謝しています。

最も充実していたのは釜石での最後の3年間

選手時代を振り返ると、つらいことばかりでした。それでも、現役生活の中で、ラグビーが本当に楽しくて、有意義な時間を過ごしていると心から思えた時期があります。それは、新日鐵釜石で過ごした最後の3年ほどです。僕は監督兼選手となり、自分の思うようにチームを動かし、結果的に7連覇を達成しました。

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実は、僕が監督になったとき、チームには一つの問題がありました。実力のあるベテランのメンバーが抜け、残りのメンバーではどう考えても勝てない、という危機的状況だったのです。連覇へのプレッシャーが重くのしかかり、僕は頭を抱えていました。

そんなとき、頭をよぎったのが「頭で考えていては分からない。自分で挑戦し、体験してみて初めて分かる」という親父の言葉です。とにかくできる限りのことをやろう。それで結果が出なかったら仕方ない。そんな風に開き直ると気持ちが楽になり、自ずと物事がうまく回るようになったんです。

親父が言っていたように、人生は何事もやってみなければ始まりません。僕が今、ラグビーに関する講演会をやったり、役者への挑戦をしてみたり、いろんな活動をしているのも、さまざまな経験をすることが人生のためになると思っているからです。それが、たとえ初めてのことでも、やりたいと思えばまずはやってみる。そうして体得したことが、真の学びだと思っています。

新日鐵釜石時代の話に戻ると、最後の3年間は親父から教わったことを教訓に自由奔放にラグビーをやって、良い結果を残せました。気負わず、前に進むことに人生を豊かにする鍵があると、今でも信じています。

大事なことは、どれだけ中身の濃い時間を過ごしたか

僕は31歳でラグビー選手から身を引きました。今ならまだまだ現役でプレーできる年齢かもしれません。でもすでに、僕はけがや手術を繰り返し、体はボロボロでした。それに、それまでの新日鐵釜石の先輩たちが、自分のプレーができなくなったら潔く辞め、後進に道を譲ってきた姿を見てきました。だから僕も、いつまでもダラダラと続けるのは美しくないし、チームのためにならないと考えたのです。

ただ、僕は人の幸せは時間の長さじゃない、と思っているんです。たとえ、50歳までラグビー選手としてプレーできたからと言って、その人の人生が必ずしも豊かだとは言い切れません。人それぞれで人生の長さは異なりますが、どれだけ凝縮した、充実した時間を過ごせたかが、人生を豊かにする上では一番大事なことだと思っています。

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僕のラグビー人生について言うと、本当に輝いていたと思えるのは新日鐵釜石時代のわずか3年です。でもその3年間は、本当にかけがえのないものでした。それまで苦労を重ねてきたキャリアとは違い、とても充実した時期を過ごせたからです。だから、引退を決意した後は「ラグビーやっていて良かった」と、すぐに幸せな気持ちに思えました。

一方で、それ以前のつらい、苦しい時期があったからこそ、あの3年間が光り輝いていたのだとも言えます。そう考えると、人生には無駄な時間など、一秒たりともないのではないかと思います。

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PROFILE

松尾 雄治(まつお ゆうじ)

松尾 雄治(まつお ゆうじ)

元ラグビー日本代表、NPO法人スクラム釜石キャプテン

1954年東京都生まれ。名実共に日本ラグビー史上最高のスタンドオフと呼ばれる。小学校時代からラグビーを始め、明治大学に進み4年生の時には司令塔として当時低迷していた明大ラグビー部を初の日本一に導く。卒業後、新日鐵釜石に入社。1979年から選手、主将、監督兼選手として社会人選手権、日本選手権7連覇達成という「不滅の大記録」の原動力となる。V7達成試合を最後に新日鐵釜石を退社。引退後、ラグビー界初のスポーツキャスターに。1998年に公益財団法人日本ラグビーフットボール協会普及育成委員会委員に就任。現在は解説者、タレント活動、講演活動等を通じて自身を築いたラグビー界への恩返しとして普及、競技者の育成に務める。

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