生きること……いのち-自分らしく。年を重ねなお、輝く(仁科 亜季子さんコラム-第1回)

仁科 亜季子 (にしな あきこ)

2017年も後半になり、時が経つのは早いもので、気が付けば私も晴れて64歳になっていた(笑)。

仁科 亜季子 (にしな あきこ)

晴れて

やっと

とうとう

本当に日本語というのは、こんなたった三文字や四文字の中に深い意味を持ち、その中にまるでその人の姿までも想像できるような気がする。

今年6月に私の愛する初孫が2歳になった。その時「お陰様で孫が晴れて2歳になりました!」とハートマークと共に多くの友人たちに送った。見てくれた皆は誰もが「また、アコは嬉しそうにこんなメールを送ってきた……。」なんて半分あきれ顔になりながらも「晴れて」という言葉の響きから、みずみずしいピンクのほっぺの可愛い幼い姿を想像し、何となく胸の奥がほっと温かくなる様な気持ちになっただろう。

もしも、私のことをよく知らない人に、「64歳になりました」とメールを送ったら64歳の女性……私のことはどんな風に思い浮かぶのだろうか。とにかく、やっとなのか、とうとうなのか、両方なのかよく解らないけれど確実に又、一年生き長らえた。4度も大きな手術をした割には、まぁ人並みに元気で、見栄えもそこそこ、何とか体型も維持しつつ、64歳までよく生きてきたものだと、自分の頑張りには我ながら驚いている。

どこかで聞いたような台詞だけれど「自分を褒めてあげたい。」と思う。健康な人は、若い時には病気や死に対して無頓着で日々の健康に感謝などすることなく、そんな状況が当たり前で、そしてそれは永遠に続くような錯覚さえするだろう。御多分に漏れず私もそうだった。お腹をこわす、風邪をひく、胃が痛くなるなんてくらいは勿論、数えきれないくらいあったし、胆石や急性肝臓炎などちょこちょこ痛い目にはあっていたけれど、手術とかで痛い思いをしたことが全くなかった。

それまで入院したのは二人の子供達の出産の時ぐらい。そんな私が「死」そして「生きる」ということを突然目の前に思いきりたたきつけられ、その後ずっと意識せざるをえなくなったのは1991年、私が38歳の時だった。

「子宮頸癌」

その言葉の存在すら知らずにいた私の人生はその時から、今までとは全く違う時の流れを送ることになった。それは内科検診の折に偶然に見つかった。検診の後顔見知りの担当の医師と雑談をしていて、私が何気なく言葉にした「更年期障害」に婦人科の受診を勧めてくれたことで、私は生命拾いをしたのだった。

検査結果をいつもの様に一人で気楽に聞きに行ったのだけれど、まさかそんなことが起きるなんて想像もしていなかったから、告知を受けてからも暫くは、自分に起きたことがどうしても受け止められず、苦しい日々を過ごしていた。

「まさか、私がガンになるなんて!」

「こんなに元気で、痛い所なんて一つもないのに……。」

「まだ、38歳。充分若いじゃない!」

病気のことを考えても、もしかしたら死んでしまうかもしれないと考えても、どう考えても答えに到達することなく、頭の中でぐるぐる廻っているだけ。そんな抜け出せない暗い迷路の中で、子供達の屈託のない笑い声を聞いた時は突然スッと気持ちが整理できたような気がした。

「この幼い二人の子供達の為に、何がなんでも生きなければ!たとえ首から下が動かなくなったとしても、二人の姿が見えて、二人の声が聞こえて、二人と話せることさえできれば、それでいい!!」

そう思った時から、私の人生のフルマラソンは再スタートをきった。人間には、人生には一人一人各々に思いもよらぬことが沢山起こる。

幸せで楽しくて踊り出したい様なこと、悔しくて腹立たしくて身震いしたい様なこと、悲しくて切なくて涙が止まらない様なこと。

色々な状況があって、色々な気持ちになって、人生は成り立っているのだから、全部を受け入れなければならないのだと思った。人生において病気というのは「思いもよらぬこと」の個人的ランキングで言えば一位であろうと思うけれど、それも私の人生の必然の出来事として受け入れなければならないのだと思った。それ以降、私は生きることにとても前向きで貪欲である。人間に限らず生命あるものは全てにおいて「絶対!」なのは「死」。皆この世に生命を授かった瞬間から、平等な時間を費やして「死」に向かって人生のフルマラソンがスタートする。そのマラソンを楽しく笑顔で走り切るか、辛い辛いと思いながら眉間にシワを寄せながら走るかは、自分次第だと思った。とにかく私は何とか気持ちよく生きようと思った。

とは言え……私を含めガン経験者は、「癌です。」と告知された瞬間から、何年経とうとも大きな爆弾を抱えて、日々大きなストレスを感じながら生きている。でも日々の生活の中ではあえて自分で忘れようと努力し仕事に打ち込むことや明るく振る舞うことで、不安や恐怖を打ち消すように生きていると思う。そうしないと再発や転移ということばかりでいっぱいになり精神的に崩れ落ちてしまいかねない。常にポジティブな私でさえ未だに肉体的には様々な後遺症を抱き、時々、体調が悪くなった時などは押しつぶされそうな気持ちになる。見栄張りの私は外に出すことは滅多にないから、そんな真の姿には家族も友人も周囲の人達は気がついていないのかもしれないけど……。

とにかく、あと何年生きられるか解らないけれど、精一杯、楽しく気持ちよく、悔いのない人生を送りたいと思う。私が人生という舞台に誕生した時には、多分大きな声でオギャーと泣いていたはず。

だから、最後は笑って幕をひけたらいいな……と思う。

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PROFILE

仁科 亜季子 (にしな あきこ)

仁科 亜季子 (にしな あきこ)

女優

1953年東京都生まれ。歌舞伎俳優十代目・岩井半四郎の次女として生まれる。1972年学習院女子高等学校卒業後、NHKドラマ「白鳥の歌なんか聞こえない」でデビュー。その後、NHK大河ドラマやTBS木下恵介「人間の歌」シリーズ等で、清純派女優として活躍。1979~1998年の芸能活動休止を経て、1999年に芸能界復帰、2000年より本格的に女優業を再開。近年では女優業に加え、バラエティ出演や自身の経験を基にがん治療に関する講演を行うなど幅広い活動を行っている。

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