いのちの大切さを実感-自分らしく。年を重ねなお、輝く(仁科 亜季子さんコラム-第2回)

仁科 亜季子 (にしな あきこ)コラム「自分らしく。年を重ねなお、輝く」

子宮頸癌の手術、治療の為の4ヶ月以上の入院生活を終え、1991年10月に無事退院した私は、その年の暮れから翌年のお正月にかけて、家族でサイパンで過ごすことになった。

仁科 亜季子 (にしな あきこ)

寒い日本を離れ、それ程遠くなくて身体にも負担の少ない、暖かな地で療養する為に、それまでも何度か家族で訪れたことのある馴染みのある地に決めた。

子供たちと連れだって歩くこと……。

プールサイドで暖かな日差しを受けながら楽しそうに、はしゃぐ姿を眺めている……。

それだけで私は充分だった。心から幸せを噛みしめていた。相変わらず「後遺症」に悩まされ、手術のあとのお腹はすごく冷え、リンパ節を切除してしまった両足は、リンパの流れが滞り、浮腫み、怠くて重い。下半身は暖かなサイパンにいても長ズボンを履いて、くつ下は二枚重ねという重装備。それでも、限りなく青い空の下、水しぶきをあげ、子供たちの楽しそうな歓声を聞くたびに「生きていて本当によかった!」としみじみ感じていた。

サイパンから帰ってからも、長期の入院で萎えてしまった両足の筋肉も体力も退院後2ヶ月経っていたにもかかわらず、中々思うように回復しなかった。持続しないのだ。午前中はよいのだけれど、昼過ぎ、夕方になると、まるで太陽エネルギーが切れる前のウルトラマンのように「ピコーピコー」とサイレンが鳴り出す。2階にある寝室へ行くのにも階段の途中で2度も3度も休まないと上がり切れない。「こんなことではいけない!」と庭を歩いたり、スクワットをしたり。生来の負けず嫌いな性格のお陰もあり、そんな積み重ねでゆっくりとではあったけれど徐々に回復しつつあった。

2月に入ると台所に立ち、夕食の準備も朝のお弁当も作れるようになった。

2月の終わり、娘仁美の小学一年生最後の学年末の授業参観があった。一学期も二学期も行けなかったので、何が何でも出席したかった。

クラスルームに入るとお母さまたちが「もういいの?」「無理しないようにね」と皆さん心配して優しく声をかけてくださった。私も精一杯の笑顔でできる限り元気よく「有難う!もう大丈夫。こんなに元気になりました。御心配頂き本当に有難う。」と答えた。「あきこさんって、本当に強いのね!」とびっくりしたようなお顔で私の頑張りをほめてくださった。

でも本当は、わずか45~50分の授業でさえも立っていたら両足の膝は震え出し「膝が笑う」ということを実感し、その上、腰が抜けるように痛くなり、そっと教室を抜け出して廊下の隅に座りこんでしまったのだ。

そんな授業参観の数日後のこと。

仁美のお友達のお母様から一通のお手紙をいただいた。こんなことが書かれていた。

「先日の授業参観日に、お見かけしました。とてもお元気そうでニコニコされているので、どうしてそんなに元気で明るくしていることができるのかと思いました。私はあきこさんと同じ年齢です。昨年、卵巣癌が発見され現在は抗癌剤の投与と治療の為、毎月何日か入退院を繰り返しています。毎日死ぬことばかりを考え、中学生のお兄ちゃんと仁美ちゃんと同じ年の下の子にも、面と向かって何も話せません。本当は私が死んだらこうしなさい……とか、きちんと話しておかなければと思っています。でも、その勇気がなくどうしても話せないのです。先日あきこさんのお姿を拝見し、これではいけないんだと思いました。どうすればあのように明るくしていることができるのでしょうか……」

そんな内容だった。因みに御主人はお医者様とか。私はすぐにお電話をしてお話をした。

「お医者様の御主人が強い味方がそばにおられるんだから、気をしっかり持って、免疫を高める為にも明るく笑顔で話をしてみては?」とちょっと偉そうなことを申し上げた。

本当は私だって決して強くなんかない。入院中は勿論、退院してからも、幾度となく心の中にフッと浮かび上がってくる、死への不安や恐怖。落ちこみそうになる気持ちを「私は大丈夫。必ず治る!」と打ち消しながら過ごしているだけ。なるべくプラス思考にしているだけなのだ……とそんなことも正直にお話しした。

「有難う。私も明るく笑顔にしていたいと思います。」と語っていた。

気になりながらもその後お電話することもなく、5月に入って突然彼女の訃報が届いた。

あまりに早い死―

それは私に大きなショックを与えた。私などより、もっともっと末期ガンに襲われながら私にあのような手紙をくださった彼女。最後まで明るい笑顔を子供たちに見せていたという。愛する家族たちを残して、どんなに口惜しく残念だったろう。

苦しい闘病生活を送った私にも少しは解るような気がする。

彼女の死によって、ガンとの闘いの壮絶さ、大変さを今まで以上に教えられたような気がした。

そして、子宮頸癌から8年後、私は京都を離れ東京へ戻り、子宮頸癌のみならず、すべてのガンや病に対して、検診の大切さを深く考えるようになった。

そして、46歳の頃、ある新聞社から依頼の講演をきっかけに、啓蒙活動を始めることにした。

それから18年経った今も、病院、自治体、保険会社、新聞社、大学等で講演や医師との対談などを積極的にお引き受けし、皆様の前で自分の経験を元に検診等の大切さをお話している。

いのち……限りあるもの。

大切な大切な生命。

その大切さを考えていただけたら……!

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PROFILE

仁科 亜季子 (にしな あきこ)

仁科 亜季子 (にしな あきこ)

女優

1953年東京都生まれ。歌舞伎俳優十代目・岩井半四郎の次女として生まれる。1972年学習院女子高等学校卒業後、NHKドラマ「白鳥の歌なんか聞こえない」でデビュー。その後、NHK大河ドラマやTBS木下恵介「人間の歌」シリーズ等で、清純派女優として活躍。1979~1998年の芸能活動休止を経て、1999年に芸能界復帰、2000年より本格的に女優業を再開。近年では女優業に加え、バラエティ出演や自身の経験を基にがん治療に関する講演を行うなど幅広い活動を行っている。

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