野球界の先輩たちからの励まし-がんと共存する時代(大島 康徳さんコラム-第2回)

大島 康徳 (おおしま やすのり)

私は今から1年半ほど前にステージ4の大腸がんが発覚し、現在は通院による抗がん剤治療を受けながら、野球解説者の仕事をしています。

がんを公表してから今日まで、たくさんの励ましをいただきました。特に野球界の先輩方の存在は、私ががんと向き合う上で大きな力になりました。中でも今年の1月に膵臓(すいぞう)がんで亡くなられた、星野仙一さんとのやり取りは忘れられません。このコラムの2回目では、そんな野球界の人々とのエピソードを紹介します。

心配したり、あれこれ聞いたりしない「野球人」たちに救われた

私の大腸がんが見つかったのは、2016年10月のこと。昨年の2月にはブログで一般に公表しました。野球界の何人かの先輩には前もって伝えましたが、一番面白い反応をしたのが金田正一さんです。金田さんとは「ドリーム・ベースボール」を一緒にやっていることもあり、早い段階で報告しました。それから金田さんから、毎日のように電話がかかってくるようになりました。

そのときにおかしかったのが、私が大腸がんの手術を無事に終えたことを、妻が金田さんに報告したときのことです。金田さんは「病気ってのは、気持ちで負けちゃだめだ。気持ちが勝っていれば勝つから」となぜか必死で妻を励ましたそうです。でも、けげんな様子の妻に気付き、「あれ?手術したのは誰?」と聞いたそうです。

「主人なんですけど……」。そんな妻の言葉に、金田さんは大驚き。金田さんはずっと私ではなく、妻ががんになったものだと勘違いしていたそうなんです。私は入院するギリギリまで野球教室に参加していたので、まさか私ががんだとは思っていなかったようです。

ただ、私だと分かった後、金田さんが私に言ったのは「がん?そんなもの病気じゃねえや」の一言でした。この言葉も、とても金田さんらしいと思いました。

このような反応は、金田さんに限りません。堀内恒夫さんも「たいしたことない。大丈夫だよ」と言っただけだし、世代的に後輩にあたる原辰徳さんも「先輩、顔色いいですね。大丈夫っすよ」としか言いませんでした。野球人はみんな、私のことを変に心配したり、あれこり聞いたりしませんでした。そんな態度に心が軽くなり、逆に救われました。

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自分のがんを隠したまま、励ましてくれた星野さん

今年の1月に膵臓がんで亡くなられた星野仙一さんとのやり取りは忘れられません。私と星野さんはプロ入団が同期で、寮も同じだったため、随分かわいがってもらいました。中日でともに戦い、その後、星野監督の下で選手としてプレーできたことは最高の思い出です。

そんな星野さんに電話をしたら、「お前何か困ったことあるのか?お前は困ったときしか電話してこないからな」といつもの調子で話されました。そこで私ががんの手術をすることを伝えたら、「どこでやるんだ?」と一言。さらに病院を伝えると、「そこなら大丈夫だ。心配しなくていい」と、ただそれだけ言いました。

まさかそのとき、星野さん自身もがんだったなんて、思いもよりませんでした。亡くなる直前にパーティーで話す機会があったのですが、そのときもまったくそんな素振りを見せませんでした。

その1カ月後、私は星野さんががんで亡くなったことをテレビで知り、愕然としました。でも、今となっては、あの人らしかったと思います。他人に絶対に弱いところを見せたくないんです。本当は病気になって強い、弱いもないはずです。病気をすれば、誰だって弱くなります。それでも星野さんは、そういう姿を意地でも人に見せない人でした。それはいい悪いではなく、まさに星野さんの生き様だと思います。

私が知っている野球人は、みんなそういった気質の人ばかりです。少し前に胃がんであることを告白した江本孟紀さんもそう。以前、東京ドームでお会いしたときに「お前大丈夫か?」と声をかけられたので、「江本さんもやせられたけど、大丈夫ですか?」と聞いたら、「俺はダイエットしているんだ、ばかやろう」と叱られました。江本さんもそのときがんだったはずなのに、私には何も言わず、私を励まそうと声をかけてくれたのです。

どうすれば前に進めるか。がんになっても、当たり前に続けていくこと

野球人が自分のがんのことを自ら言わないこと、またがんになった人に心配している様子を見せない気持ちは、私にはよく分かります。私も体重が減って病気であることが明らかだったのでがんを公表しましたが、最初は公表する気はありませんでした。

公表後、たくさんの電話がかかってきましたが、電話には出ず、自分からもかけ直しませんでした。心配してくれていることは有り難かったのですが、自分の病気のことを相手に語るのがどうも苦手だったからです。自分がそう思うのだから、知人ががんになっても、私はきっと自分から連絡を取ったりはしないでしょう。

このような態度は、私がずっとプロ野球という勝負の世界で生きてきたことと関係がある気がします。私の野球人生26年間は、次の日に何が起きるか分からない日々の連続でした。毎日が勝つか負けるかの戦いでした。「明日、自分は打てるんだろうか?」と、不安に陥りそうになることもある。でもそんなときは、すぐに気持ちを切り替えて、ひたすら練習をしました。けがをすれば医師を信頼し、1日でも早く治す努力をするだけです。何があっても前を向き、前進していく。そんな習性が身に付いているのです。

今もその生き方は変わっていません。人は生きていればいろんなことが起きます。それに対して、いちいち落ち込んでいても仕方がない。起きたことに対して、どうすれば前に進めるか。それを考え、最善の手を尽くすのみです。がんになってからも、私はそれを当たり前のように続けてきました。だから薬や治療に対して不安に思うことも、ほとんどありませんでした。

ましてや今は医療の進歩により、がんになってもこれまでと変わらない生活が送れるようになってきています。野球人だけでなく、一般の人にとっても、不必要にがんを心配する時代は終わりつつあると思います。

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PROFILE

大島 康徳 (おおしま やすのり)

大島 康徳 (おおしま やすのり)

元プロ野球選手

1950年大分県生まれ。中日ドラゴンズ(1969~1988年在籍)から北海道日本ハムファイターズ(1988~1994年在籍)に移籍し、当時史上最年長の39歳11カ月で通算2,000本安打達成。豪快にすくい上げるバッティングで本塁打を量産するスラッガーとして、中日・日ハム両球団の主軸として活躍。日ハム退団後、同球団監督を経て、現在プロ野球解説者であり日本プロ野球名球会会員。

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