心臓病、いじめ、そしてモーグルとの出会い-明日、笑顔でいるために(上村 愛子さんコラム-第1回)

上村 愛子 (うえむら あいこ)

3歳からスキーを始め、小学生の頃はアルペンスキー、中2でモーグルに出会い、高3で長野オリンピックに出場。以来オリンピック5大会に出場し、2014年に現役を引退しました。

大好きなスキーと共に歩んできた私の経験を、幼少期から振り返ってお話しさせていただきます。

上村 愛子 (うえむら あいこ)

生まれ持った心臓病。心配症の母は、私を見守ってくれた

私は生まれつき心臓に小さな穴があいていました。『心室中隔欠損症』という子どもに多い病気で、ほとんどは3~4歳までに自然に塞がるそうです。しかし私の場合は、それが塞がらなかったんですね。でもとても小さな穴なので、特に治療や手術をする必要はなかったし、病気を自覚することもありませんでした。3歳のときにはスキーを始め、シーズン中は両親が経営するペンションにアルバイトに来る大学生たちと毎日のように滑っていたほど、健康な毎日を送っていました。

そんな小さな頃は、母は私の病気をとても心配していたようです。でも私に、「運動をしちゃダメ、走っちゃダメ」とは絶対に言わず、時折、「胸が痛かったり、苦しかったりしないよね?」と確認するだけで、見守ってくれていました。私はスキーが大好きだったし、それ以外の場所でもいつも走り回っていて、“カカトが床につかない”ほどの活発な子どもだったので、母はさぞ心配だったろうと思います。しかしその心配を私に感じさせることなく、私がやりたいことを制限せずに育ててくれました。そのことは今でもとても感謝しています。

病気の自覚症状はほとんど無かったのですが、振り返ってみると一度だけ、病気を“自分の言い訳”にしてしまったことがありました。

モーグルを始めて、自分を追い込むようなキツいトレーニングをしているとき、ふと「こんなに激しいトレーニングをしたら、もしかしたら心臓に負担がかかるかも」という考えが頭をよぎり、何度かトレーニングを休んでしまったのです。実際に、胸が痛かったり苦しかったりした訳ではありません。ただ、厳しいトレーニングを続けるのがキツくなって精神的に弱い部分が出てしまい、病気を“逃げ道”に使ってしまったのです。

でも、病気に甘えてトレーニングをやらなかったら、実際にスタート台に立つときに後悔するのは自分自身です。それに気づいてからは、弱い自分を克服し、病気に逃げることはなくなりました。

アルペンスキーチームでの“いじめ”

小学1年生のとき、長野県の白馬村に引越しました。学期の途中の転校生だったので、すぐには友達ができず、一人で校内を歩き回っていたところ、掲示板でアルペンスキーのジュニアチームのポスターを見かけました。「このチームに入ったら、冬になったら毎日大好きなスキーができるのかな」と軽い気持ちで入部。

しかしそのチーム内で、話しかけてもらえなかったり、道具を隠されたりといった、“いじめ”にあいました。

もっとも当時は、「私がやられていることは、“いじめ”だ」という認識はあまりなかったんです。ただ「嫌だな、寂しいな」という気持ちでいっぱい。でも、「スキーをやめよう」とは全く思いませんでしたね。大好きなスキーが上手になりたいし、練習を見てくれるコーチもいる。それに、一人ぼっちで寂しくても、スキーを滑るときはみんな一人です。私にとっては、仲間はずれにされるよりスキーができないことのほうが辛かったのですね。「スキーが大好き!」という気持ちに支えられたから、卒業まで続けられたのだと思います。

それに、私には家族がいました。一歩家に入ると、みんなニコニコ笑って私を迎えてくれる。学校やチームでの辛いことを一切思い出さないくらい、家族が大好き。母は当時のことを振り返って、「いじめられていることに、気づいてあげられなかった」と悲しむけれど、家では悲しい顔をする必要がないくらい楽しかったし、「家に帰ってきたら、私の味方がいる」と思えることが、私を辛い気持ちから救ってくれていたのだと思います。

ジュニアチームは小学生までのため、中学校ではスキー部へ入部し、部活動が始まりました。しかしここでも、いじめはありました。

私は自分から家族にいじめのことを打ち明けなかったけれど、もし、お子さんがいじめに悩んでずっと悲しい顔をしていたら、「家族は味方だよ」と伝えて、私がしてもらって嬉しかったように、頑張っているお子さんを笑顔で迎えてあげて欲しいな、と思います。

スキー部を退部した私に、母はカナダ行きを勧めた

私がずっとやっていたアルペンスキーはタイムを競う競技で、子どもの頃は特に、体格の良い子が有利でした。私は体重が軽かったので勝つのが難しく、6年間やっても大会で3番以内に入ったことがなかったんです。

そうして色々考えた結果、「スキー部をやめたい」と母に伝えました。もちろんスキー部をやめても、大好きなスキー自体をやめる訳ではありません。級を取るなど、自分なりの目標を決めて滑る。そうやってスキーに触れて過ごしているうちに、きっと自分はまたアルペンスキーをやりたくなる日が来るんじゃないかな、と考えていたのです。

そんなある日、母から「カナダに行ってみないか」と誘われました。「白馬村でお世話になった方がカナダにいるので、本場のスキーをやりにいきなさい」、と。もちろん、行くのは私一人。人生初の一人旅が、カナダへの海外旅行!?心配症の母がそんな大胆なことを言うなんて!と驚きましたが、「母が大丈夫だと言うのなら、きっとできる。行ってみよう」、と。それが中2の冬休みのことです。

あとから母に聞いたところ、私は学校で辛いことがあっても、スキーをしているときはとても楽しそうな表情をしていたのだそうです。だから、「この子からスキーを取り上げてはいけない。スキーの本場であるカナダで、もっとスキーを楽しんで欲しい」という思いで送り出したのだ、と話してくれました。

そしてカナダで、モーグルに出会いました。私の人生の、大きな転機が訪れたのです。

生まれて初めて見るモーグルの滑りに、衝撃を受けた!

カナダでスキー三昧の日々を過ごしていたとき、ちょうどモーグルのワールドカップを見る機会がありました。生まれて初めて見たモーグルの滑り。一瞬で、その世界に憧れました。

今までやっていたアルペンでは、コブは大回りで越えるもの。しかしモーグルでは、コブの上をまっすぐに飛ぶように滑ります。当時の日本ではモーグルという競技がほとんど知られていなかったので、「こんな滑り方があるんだ!」と衝撃を受けました。自分も、こんな滑りがしたい!

それからは、毎日モーグル三昧。初めてコブをまっすぐに滑ったときはとても怖くて、ブレーキをかけながらズリズリと下りることしかできず、コブを滑っては大きく転んで、の連続。でも私の頭のなかには、大会で見た世界チャンピオンたちのイメージがありました。「彼らは、長いコースを滑っていた。私だって、もっと練習すればできるはず!頑張ろう!」と、毎日毎日、滑り続けました。どんなに転んでも、本当にモーグルが楽しかったのです。

※このコラムは、保険市場コラム「一聴一積」内に、2015年11月12日に掲載されたものです。

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PROFILE

上村 愛子 (うえむら あいこ)

上村 愛子 (うえむら あいこ)

元女子モーグル日本代表

高校3年生で長野オリンピックに初出場。2007~2008年シーズンのワールドカップで日本モーグル界初となる年間総合優勝を達成、翌2008~2009年シーズンの世界選手権では2冠に輝くなど、世界No.1の称号を手にする。2009年、アルペンスキーヤーの皆川 賢太郎氏と入籍。オリンピックには5度出場し、1998年の長野オリンピックから2014年のソチオリンピックまで5大会連続入賞という偉業を成し遂げた。2014年に現役を引退。現在はスキー普及活動やイベント・メディアなどに出演し、活躍中。

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