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Web3は非中央集権の社会構造を達成し、個人の力を強化するか

岡嶋 裕史さんコラム - 第2回

Web3に需要はあるのか

私は、インターネット利用者はWeb3を望んでいないと考える。Web3が掲げる問題提起は「集中の是正」だが、そもそもその集中は利用者が望む形で進んできたと思うのだ。Web3を推進する勢力はインターネットやWeb、Web2.0を中央集権的であると言う。

しかし、インターネットはそもそも管理者を持たない非中央集権ネットワークである。各企業、各組織などの自律ネットワークが個々に存在していて、それを対等に結んだのがインターネットだ。だから、inter-netなのである。中央集権的な管理者が存在しないからこそ、現行規約であるIPv4が時代遅れになっても強権的にIPv6に更新することなどができないでいる。

インターネットが中央集権的になりつつあるという批判はあるだろう。非中央集権ネットワークはどうしても動作が遅くなる。中央の管理者が全体を総覧して、資源の最適配分をすることなどができないからだ。そこに映画視聴などの膨大なトラフィックが生まれてしまった。原型通りの互助的で対等な非中央集権ネットワークでは、これをさばききることは難しい。そこで、Akamaiなどの企業が登場し、Akamaiのネットワークだけで動画トラフィックを完結させることで、速度向上を果たしている。

これを中央集権的であると言えば言えるだろう。しかしそれは、Akamaiがごり押しして中央集権的なネットワークを組み上げたのではなく、利用者が望む形をつきつめていったら中央集権的に育っていったのである。

一連のWebの発展についても、同じことが言える。最初に登場したWebは十分に非中央集権的だった。情報を発信する、しかもそれは世界の裏側まで届く可能性がある、これは100年前であれば国家の中枢にでもいなければ手にすることができない力だった。インターネットとWebの組み合わせはこれを市井の一個人に解放したのだ。

しかし、それを使いこなすには知識を高め、資源を用意する必要があった。一般利用者は、個人としてはともかく大衆という集団になると、技術の利活用に対して極めてレイジーである。少しでも面倒くささや難しさがあると、インストールも利用もしない。多くの利用者はWebがいかに優れていても、それを使うために知識(HTTPやHTML、URI)をつけたくはなく、サーバの構築や設定もしたくない。

このことは、選挙をイメージするとわかりやすいだろう。民主主義は優れているかと問えば、多くの人が優れていると答えるだろう。では、その素晴らしい民主主義を実践するために選挙に行っているかと問えば、投票率は高くない。投票に行くのは面倒だからである。面倒なことは、「良いこと」であっても実行されないのだ。

だから、Web2.0が登場したのである。今では中央集権の象徴として語られるWeb2.0だが、先ほど述べた通り、登場当初は個人の力を強化するツールとして捉えられていたのである(「Webの民主化」と言われたことすらある。それが今や悪の権化のように見られるのであるから、ものごとは視角によってまったくその輪郭を変えてしまうし、歴史は後世の人間によって容易に書き換えられてしまうことの証左になるだろう)。勉強は面倒だ、サーバを用意するのは難しい、だからブログが、後年はSNSがそれを肩代わりした。

確かに個人の情報発信力は増したが、その力の源泉はブログやSNSをオペレーションする企業に握られた。当然である。力を委譲せずに、面倒を肩代わりしてもらうことは難しい。そして重要なのは、ここでも力が集中した企業(GAFAなど)は自らが独裁者になるために最初から振る舞っていたわけではないということだ。彼らは、個人が容易にネットワーク資源を活用できるようにし、個人に力を与えてくれる存在として当初、歓呼を持って迎えられたのだ。

私はWeb3の理念自体を否定したいわけではない。しかし、Web3を推進する勢力は、これら一般利用者のレイジーさを軽視していると考える。知識も技術もあり、理想状態へ向けて社会を変えていこうと試みる人々は、自分たちの士気が高いゆえに往々にして一般利用者の動向を見誤る。エリートの誤謬(ごびゅう)である。

管理者に権力や資源が集中してしまうようなネットワークはよくない、非中央集権で個人が活躍できるのが理想だ、だからWeb3にも共感してもらえるはずだと素朴に信じてしまう。だが、大衆のレイジーさは手強い。一極集中を許容することで、楽で便利になれるのであればそれで良いと考える一般利用者は多いのだ。

先ほどのWebの例を思い出して欲しい。誰もが待ち望んだ個人による強力な情報発信は実現した。サーバを用意してHTMLとHTTPとURIを勉強するならば、という留保付きで。この程度の条件ですら一般利用者を躊躇わせるには十分で、その普及にはWeb2.0を待たねばならなかったのだ。ましてWeb3はブロックチェーンを技術的支柱にしている。あんなに面倒くさいしくみはそうそうない。

だから懸念するのである。Web3には需要がないかもしれない。無理に需要を作ろうとすると、「利用者に負担をかけないために」誰かがそれを肩代わりすることになり、理想とは裏腹に、その肩代わりした「誰か」が巨大な力を握るようになるのだ。Web2.0のときのように。

PROFILE

岡嶋 裕史

岡嶋 裕史(オカジマ ユウシ)

中央大学国際情報学部教授、中央大学政策文化総合研究所所長

1972年東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。博士(総合政策)。富士総合研究所勤務、関東学院大学経済学部准教授・情報科学センター所長を経て、現職。総務省「Web3時代に向けたメタバース等の利活用に関する研究会」構成員。内閣府「メタバース官民連携会議」構成員。『ポスト・モバイル』『ビッグデータの罠』(新潮社)、『ハッカーの手口』(PHP研究所)、『思考からの逃走』(日本経済新聞出版)、『ブロックチェーン』(講談社)、『Web3とは何か』(光文社)など著書多数。NHK総合「クローズアップ現代」、テレビ東京「WBS」など出演多数。

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