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がん保険

 がん保険とは、がん治療のための経済的な備えに特化した保険です。主な保障として、がんと診断されたときに一時金で受け取れる「診断給付金」、入院したときに日数無制限で受け取れる「入院給付金」、がん治療のために通院したときに受け取れる「通院給付金」、がんの手術のときに受け取れる「手術給付金」があり、これらの保障を組み合わせたものや、さらに特約を付加したものなど、多種多様な商品があります。
 現在、がんの三大治療として挙げられる「手術」「放射線治療」「抗がん剤治療」の中で、放射線治療や抗がん剤治療は通院で行うケースが増えています。一時金で受け取れる診断給付金は、入院治療にも通院治療にも自由に利用でき、付加すべき保障のひとつといえるでしょう。
 これらを踏まえて、がん保険を選ぶ際には、ご自身の治療方針に合わせて保障内容を検討することが大切です。

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ファイナンシャルプランナーが徹底解説!がん保険に入る前に知っておきたいこと

がんの罹患率が上がる中、がん保険の加入者も増えつつあります。
では、がん保険に入る前に、どのようなことを知っておけばよいのでしょうか。
保険のプロであるファイナンシャルプランナーが、がん保険の基礎からその必要性までを徹底的に解説します。

がん保険のキホン!

「ありがとう」と言っていただける仕事を追い求め、身を粉にして働く独立系ファイナンシャルプランナーの長谷 剛史が、がん保険の基本を一から順を追って丁寧にお伝えいたします。

プロフィール

長谷 剛史 (ハセ タケシ)

(マイアドバイザー.jp®登録)

学校法人・会計事務所勤務を経て2007年1月、大阪府堺市に独立系FP事務所を開業。
ファイナンシャルプランナーはお金の専門家ではありますが、幸せな家庭を作る専門家でありたいと常々思っています。
住宅・資産運用・保険の3つの分野に強いファイナンシャルプランナーとして、ライフプランを基本とした個別相談・講演・執筆等の活動を行っています。

ファイナンシャルプランナーが徹底解説!がん保険の選び方

がん治療の進歩に対応できるように、さまざまながん保険が販売されています。
では、がん保険を選ぶ際には、どのような点に注目すればよいのでしょうか。
保険のプロであるファイナンシャルプランナーが、がんの治療費から保険選びのコツまで徹底的に解説します。

がん保険を選ぶコツ

ライフプラン提案総数2,000件超!お金の悩みを「源」から整理し、あらゆる年代の相談に対応するベテラン ファイナンシャルプランナー市田 雅良が、経験から導き出したがん保険の考え方を公開いたします。

プロフィール

市田 雅良 (イチダ マサヨシ)

(マイアドバイザー.jp®登録)

1999年、ファイナンシャルプランナーとして独立。
資産運用、相続対策、生命保険の見直しなどの分野でセミナーや相談業務を行う。
FP相談としては年200件超のライフプラン提案を行っている。
また、日銀が支援する金融広報アドバイザーとして金融教育の普及に携わり、「KIDSマネー教育」、「生活経済セミナー」などで活動中。

ファイナンシャルプランナーが徹底解説!がん保険の選び方の監修は

銀行、保険会社の勤務を経てファイナンシャルプランナーへ!金融商品を知り尽くし、コンサルティング力を誇る山本 俊成が、実務で得た知識を総動員して、執筆者とは異なる視点でコラムを徹底的にチェックいたします。

プロフィール

山本 俊成 (ヤマモト トシナリ)

(マイアドバイザー.jp®登録)

ファイナンシャルプランナー。
大学卒業後、株式会社三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)入社。
2003年、外資系生命保険会社入社。
2005年、総合保険代理店株式会社ウィッシュ入社。
2010年、株式会社ファイナンシャル・マネジメント設立。
銀行と保険会社に勤めていた経験を活かし実務的なコンサルティングを行う。

がん保険についてよくあるご質問

がん保険の基礎知識が知りたい

がん保険は言葉のとおり、がんの治療に対する保障に特化した医療保険のひとつです。… >>続きを読む

がん保険は必要?

かつて、がんに罹患する人は3人に1人でしたが、近年では2人に1人と罹患者数が増え続けている「がん」。死亡率も病気の中でトップです。… >>続きを読む

がん保険の特徴は?

がん家系なのでがん保険を検討しています。加入するとすればどのようながん保険を選べば良いでしょうか?… >>続きを読む

甲状腺乳頭がんの治療はどのくらい?

甲状腺乳頭がんは、甲状腺がんのうちの大半を占め他の種類に比べると比較的進行も遅くておとなしい性格で、治療できちんと治すことができるがんです。5対1くらいの割合で女性に多いがんというのも特徴のひとつです。… >>続きを読む

がん家系なのですが?

今回は、ご両親や親戚をがんで亡くされ、ご夫婦ともがん家系であると自覚し、がんへの不安をお持ちの方の事例をみていきましょう。… >>続きを読む

がん保険をインターネットで契約できますか?

こちらのコラムでは、ネット保険のがん保険、医療保険、生命保険等の「仕組み」と「ベースになる保障」について考えていきます。… >>続きを読む

がんになった際の、収入の減少に備えるには!?

日本人のうち2人に1人はがんになると言われています。そして今は医療技術の進歩によりがんによっては、治療後の生存率が高くなりました。… >>続きを読む

セカンドオピニオンについて

セカンドオピニオンとは主治医の治療方針は妥当なものなのか、他に方法はないのかを主治医以外の医師に意見を聞くことです。例えば開腹手術を勧められた時に、本当に手術が最適な治療法なのか、他に選択肢はないのか、不安に思う場合があるかもしれません。そんな時にセカンドオピニオンを求めることで不安を和らげる効果が期待できます。… >>続きを読む

がん保険をご契約いただいたお客さまの声

保険市場にご相談いただいたお客さまの中から、がん保険をご契約いただいたお客さまのご意見やご要望をご紹介いたします。

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「お客さまの声」は、主観的なご意見・ご感想であり、価値を客観的に評価するものではありません。あくまでも一つの参考としてご活用ください。

保険市場コラム 一聴一積

『子宮頸がん』から私を支えた“絆” 女優 希良梨

希良梨[きらり]

女優

1980年東京生まれ沖縄育ち。代表作にドラマ「GTO」「ギフト」映画「ラブ&ポップ」など。Kirariで歌手デビューを果たし、アニメ版GTOエンディングテーマに起用された「Last Piece」は台湾でも大ヒット。他「Toy Soldiers」などのヒット曲をリリース。2004年に海外へ生活の拠点を移し2008年台湾で結婚、翌年長男を出産。2012年に日本に帰国し、2015年に芸能活動を再開した。復帰のニュースは日本のYahooニューストップに!中華圏メディアも大きく報じた。オリンピック関連イベントテーマソングを歌い、日台政府イベントにも多数出演するなど、活動の幅を着実に広げる。新世代の日台アイコンとして活動中。

第1回19歳という若さで子宮頸がん発覚。自分のライフスタイルを取り戻すまで

掲載日:2017年6月7日

希良梨 『子宮頸がん』から私を支えた“絆”
ブランド『SHIATZY CHEN』撮影中

19歳で子宮頸がんが発覚し、手術を経験。がん発覚後には日本を飛び出し様々な国を旅しました。現在は、育児と並行しながら、大好きな日本と台湾の両方を行き来して芸能活動も再開。家族や信頼できる仕事仲間に支えられ、年に3~4回ほど検診に行きながら、「私にできることがあれば」という気持ちでお仕事をしています。

このコラムでは、子宮頸がんが発覚してからの私のライフスタイル、出産から育児、現在に至るまでの心境を3回に分けてお話させていただきます。

思いもよらなかった19歳での子宮頸がん宣告。頭の中が真っ白に

がん発覚の最初のきっかけは、私の様子を心配した母が病院に連れていってくれたことでした。もともと14歳の頃からずっと生理痛が酷く、毎回座薬を入れるほど苦しんでいたんです。私も少しでも苦痛を和らげたいという思いで検査を受けたところ、細胞診で引っかかり子宮頸がんと宣告されました。

当時19歳の私は、「子宮頸がん」という事実を知って頭が真っ白になりました。どう受けとめていいのかわからず、ただただ「がん」という言葉のイメージから恐怖や不安がとめどなく湧いてきたのを覚えています。連れ添っていた母も、私を不安にさせないように平常心を装い励ましてくれましたが、娘の私には、心配している母の気持ちは手に取るようにわかりました。それでも母が、「今の時代、治療もするんだし大丈夫よ。私の娘なんだからなんとかなるわ」と気丈な言葉をかけ続けてくれたことはとても励みになりましたね。その言葉には、今でも救われることがあります。

がんは幸いにも早期発見だったので、「円錐切除」という手術で取り除きました。円錐切除とは、子宮から頸管に向かって円錐形に切開を入れて子宮頚部の患部を切除することです。手術で記憶に残っているのは、手術後、体におしっこを排出するための、「管」が通っていたこと。「管」を見て、「あ、手術直後は、自分でおしっこができないんだ」と感じた、そのときの印象は強かったですね。

当時は芸能活動も忙しい時期で、周囲に心配をかけられない状況。友人がお見舞いに来てくれてもどんな病気であるのかも言えず、「がんのことを誰にも言えないし言いたくない」という葛藤もある中での手術でした。

がんは切除できたものの、手術の直後では将来のビジョンなど考えられなかったし、ただただ「回復していくしかない」と思うばかりの、体調との睨み合いの日々。不安を抱えて過ごす中で、気づけば日本にいるのも嫌になってしまっていたんです。小学校4年生から芸能界に入って仕事をしていたので、芸能の仕事以外にも、色々な世界を見たかったですし、海外に行ってみたいという興味もありました。

未来が見えないまま海外に飛び出し、「旅」人生を始める

そんなとき、私の背中を押してくれたのは、母にかけられた「気分転換に海外に行ってきたら?」という言葉でした。

20歳から実際に旅を始め、世界を回った期間は合計すると5年間くらい。ニューヨーク、ハワイ、ロサンゼルス、プーケット……。本当にたくさんの国を旅して、そこで出会った人たちから受けた優しさに、だんだんと心の傷が癒やされていくのを感じていました。時には珍道中もあったりして、日本でのそれまでの生活の中にはない、様々な経験をすることができたのは「旅行」ならではだと思います。また、私の場合、特にアジアの国々に、興味を引かれました。

旅行自体は完全にプライベートでしたが、特に仕事をセーブすることはありませんでした。というのも、好奇心の強い私は、様々な国や地域を回りながら、心の赴くままに興味のある仕事に挑戦していったんです。例えば、特に記憶に残っているのは、サイパンにあるマリアナリゾート&スパというホテルで、ホテルのイメージキャラクターの仕事と並行してさせてもらった「マリアナスタジオ」での裏方の仕事。このスタジオはCMやプロモーションビデオ撮影などで使われる場所で、元々黒澤明さんが持ってらっしゃったという由緒ある施設でした。私はそこで制作に関わることから雑用まで、撮影コーディネーターのアシスタントとして何でもやりました。それまでずっと表に出る側の仕事をしてきていたので、初めて裏方の仕事に関わってみて、大変さも面白さも両方知ることができました。とにかく思い立ったら即行動してきたので、ここでもまたひとつ世界が広がりました。

初めは日本にいることが嫌になって海外を飛び出したのですが、海外にいると結局日本が恋しくなって、日本の良い部分を再発見できたのも大きな収穫でした。これだけきれいで安全な国は他にないし、今では「日本はなんて親切でサービス精神旺盛な国なんだろう」っていつも幸せを感じるんです。ただ、私にとって、一度海外で揉まれて、病気のことを考える時間を減らせたことは良かったと思います。病気のことを頭で考えすぎて執着してしまわないように、環境を変えてみることも時には役に立つのかもしれません。後押しをしてくれた母にも、感謝です。

  • ※この記載内容は、当社とは直接関係のない独立した執筆者の見解です。
  • ※掲載されている情報は、最新の商品・法律・税制等とは異なる場合がありますのでご注意ください。

末期がん「余命0日」からのカムバック タレント 小西博之

小西博之

タレント

1959 年和歌山県生まれ。中京大学商学部商学科卒業。高校の教員免許取得。NHKドラマ「中学生日記」オーディションに合格し体育の先生役でデビュー。その後、バラエティ番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」のレギュラーとして抜擢され、欽ちゃんファミリーの一員として、強面とは裏腹に温厚なキャラクターで人気を得る。同番組内でレギュラーの清水由貴子さんと「銀座の雨の物語」をデュエットしヒット。また、「ザ・ベストテン」の2代目司会者としても活躍し、俳優としても多数のドラマ、映画に出演。2005 年、腎臓がんの大手術を受け、90 日間にわたる壮絶な闘病生活を体験。現在は完治し、俳優業と同時に「いのちの大切さ」を伝える講演活動を全国で行っている。

第1回人生の師の教えに従い、末期がんを受け入れる

掲載日:2017年4月5日

小西博之 人生の師の教えに従い、末期がんを受け入れる

いま私は1年間に約100回、全国の様々な場所で講演を行っています。テーマは「固定観念を壊していこう」。特に、がんを患っている方々に、「がんは死ぬ病気」という考えを捨てて、未来への夢をもって楽しく治療を受けましょうと話しています。

というのも、私自身が末期がんで医師に「余命0日」と言われながらも、5年後には「完治」と診断され、現在こうして元気に活動しているのです。絶体絶命の状況を私がどうやって乗り越えたのか、拠り所とした人生の師たちの教え、そしてがんという病気に対する考え方などを3回にわたってご紹介します。

日本中が幸せに包まれる日に、がんの告知を覚悟

私の体に変調が現れたのは、2004年、45歳の時でした。体重がどんどん減っていき、会う人会う人に「痩せた?」と言われるんですね。靴のサイズが28センチから26.5センチになり、体調もどんどん悪くなって、秋には人間の三大欲求である食欲・睡眠欲・性欲がなくなりました。

その年の12月23日の夜、京都のホテルで血尿が出ました。しかもショッキングピンクの鮮血です。びっくりして薬剤師の友人に電話したところ「東京に帰ったらすぐに検査を受けろ」と言われました。

翌々日、つまりクリスマスの日、東京の有楽町にある泌尿器科でエコー検査を受けました。結果が出るまで、私は銀座の喫茶店に入って時間をつぶしました。「日本中が幸せに包まれている日に、いったい俺は何をやっているんだ」と思いながら、長い長い3時間を過ごし、病院に戻ったのは夕方の5時頃です。医師は明確な診断結果ではなく「うちではわからないから、慈恵医科大学病院に予約を入れておいた」と言うのです。私はその時点で自分ががんであることを覚悟しました。なぜなら、エコー検査で医師の手が一瞬止まり、顔色が変わったことを見逃さなかったからです。

「人生は50対50」という欽ちゃんの教え

私には人生の師と呼べる人物が2人います。1人は萩本欽一氏で、若い頃、耳にタコができるくらい言われ続けたことがあります。それは「人生は50対50。悪いこともきちんと受け入れなさい」というもの。とはいえ、遊び盛りの若者には理解できず、当時は聞き流していましたが、その意味を痛感する出来事が15年ほどたってから起こりました。

実は、がんが見つかる3年前にも私は深刻な病気に見舞われているのです。ある朝、起きたら右耳の奥でキーンという音が鳴り続け、天井が回るほどの目まいに襲われたのです。「耳鳴りくらいで大騒ぎしたら本当に病気になってしまう」と考え、しばらく我慢したのが間違いでした。1週間たっても治らないので病院に行ったら「突発性難聴」と診断され、さらに「手遅れ」と言われました。その病気を治療できるのは発症から3日以内だというのです。

サードオピニオンにまで診てもらいましたが、答えはすべて同じ。納得がいかず、TBSの紹介により以前番組で取り上げた耳鼻咽喉科の名医にも診断していただくことになりました。

検査が終わり、そのおじいちゃん先生が言ったのは、「小西くん、君の右耳には鈴虫が2匹住んでいる。人生を全うするまでかわいがってあげるんだよ」というものでした。

私は涙が止まりませんでした。悲しかったのではありません。「欽ちゃんが話してくれたのはこのことか!」とやっと気づいたんです。不治の病を受け入れて、この先も前向きに生きていくかどうかは自分次第。「鈴虫を一生かわいがる」という言い方で、その先生も「病気を受け入れなさい」と言ってくれたのです。

いまも耳鳴りは続いていますが、うるさいと思ったことはありません。それどころか私の「鈴虫」は、体がしんどい時に普段よりも大きな音を出して「早く寝たほうがいい」と注意してくれます。

そして、この突発性難聴を通じて実践できた「受け入れる」ということが、後に末期がんを乗り越える大きな力になったのです。

「徹子の部屋」に出演する夢を抱き、大手術に臨む

慈恵医科大学での検査を翌日に控えた12月26日。その日が私にとって大きなターニングポイントになりました。「俺、がんで死ぬのかな?」と思ったら頭に血が上って、「死にたくない!」と叫びながら自宅で大暴れしました。ソファーをひっくり返して中を引きちぎり、玄関に行っては靴を放り投げ、台所で次々と皿を割りました。やがて「片付けるのは俺か」とふと我に返ってやめたのですが、気持ちはスッキリしました。

ここで私は、もう1人の恩師である高校時代の野球部の監督を思い出しました。その人は「お前たちの夢は甲子園に行くことじゃないだろう?」と言うんですね。「毎日厳しい練習で辛い想いをして行くことが夢なのか?それよりも開会式の前夜、旅館で枕投げをするだろう?そういう楽しいイメージを追いかけろ!」と。がんの宣告を受けようとしている時、その先生の言葉がピンと来たのです。

病気を克服したら何をしようか?そうだ!「ザ・ベストテン」で一緒に司会をした黒柳徹子さんに頼んで「徹子の部屋」に出演し、「がんなんて全然平気でしたよ」と笑いながら言ってやろう。そんなことを考えたら楽しくなってきて、その夜はビールを飲んでぐっすり眠りました。

明くる日、私が持参したエコーの画像を見て、慈恵医科大学の医師は「4~5センチの腎臓がんの疑いがある。確率は97%」と説明。そして、年明けの1月8日から精密検査を受けることになりました。

一連の検査が終わり、1月14日、信じられないような診断結果が下されました。医師は「20×13センチ。日本の腎臓がん史上、5本の指に入る大きさ」と話すのです。「それでステージはいくつですか?」と聞いたら「ない」と答えるんですね。「いまここで即死してもおかしくない状態。通常5センチ程度でも他に転移しているケースは少なくない。この大きさになるまで生きていること自体、私からすればありえない」と話しました。

同行した所属事務所のスタッフは、その話を聞いて号泣。でも、私は平気でした。「それだけのがんを克服してカムバックしたら、すごくカッコいいぞ!」。想像を絶する大病を受け入れ、楽しい夢を抱きながら手術を受けることにしたのです。

次回は、9時間半に及ぶ大手術の末、おそらく病気を受け入れたからこそ起こった奇跡についてお話ししたいと思います。

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乳がんが私にくれた「贈り物」 タレント 山田邦子

山田邦子

タレント

1960年東京都生まれ。1981年デビュー以後、司会・ドラマ・舞台・講演・執筆等マルチな才能を発揮。2007年、健康番組出演がきっかけで乳がん罹患を発見し、手術をする。その後はがんについての講演なども精力的に行い、また2008年にはがん撲滅を目指す芸能人チャリティ組織「スター混声合唱団」を結成し団長を務めている。2008年~2010年、厚生労働省「がんに関する普及啓発懇談会」メンバー。2010年2月12日、一般社団法人日本釣用品工業会「ロイヤルアングラー賞」受賞。現在、NHKラジオ「日曜バラエティ」の司会や通販番組「痛快!買い物ランド ショップ島」のパーソナリティを務め、スポーツ報知でコラム「山田邦子の釣りウキウキ」を連載中。

第1回番組出演で発覚した乳がん。手術前の意外な心境とは?

掲載日:2017年1月25日

山田邦子 番組出演で発覚した乳がん。手術前の意外な心境とは?

2007年に乳がんが発覚してから、気が付けばあっという間に10年。もちろんそれまでの間には、たくさんの苦労や悩み、不安がありました。しかしその一方で、乳がんにならなければ気付くことができなかった、私の人生を変えるたくさんの「贈り物」があったのも事実です。このコラムでは、乳がんを発見したきっかけから治療の実際、そして治療後10年を経た今の心境までを、3回に分けてお話ししましょう。

身近な存在とはいえ自分にはまだ関係ない病気だと思っていたのが…

祖母が乳がんになった(幸い完治はしたのですが)という体験があり、子どもの頃から「がん」という病気は、私にとって身近なものでした。そのため定期健診を受ける習慣はあったんですけれど、かかりつけのお医者様が亡くなった関係で、次の健診先を見つけるまでに3年ほどブランクができてしまって。乳がんが発覚したのは、その期間の出来事。2007年3月、私が46歳のときでした。

当時、ビートたけしさんの『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』という番組に出演していて、そこで乳がんの触診体験をしたんです。他の女性出演者さんたちと一緒に、自分の胸を指で押してみたら、指導の先生がおっしゃる「柔らかい肉まんの中に埋まっている梅干しの種」のような感触があったんですよ。収録中は言い出せず、家に帰って確かめて、翌朝も確かめて、やっぱり「これはおかしいかもしれない!」と思い、出演されていた先生に連絡を取り、あらためて診察をしていただいたところ、不安は見事に的中。早期発見ではあったものの、結果的には両胸に3ヶ所の患部がみつかり、その年の4月に手術を行いました。

様々な経験を経た今だから「乳がんは怖い病気ではない!」と断言できますけれど、やっぱり発覚したときには驚きましたよ。だって、それまで病気らしい病気をしたことがなかったんですもの。それに正直なところ、がんはもっと高齢の方が罹る病気だと思っていたんです。

意外にも、発覚直後にショックで落ち込むようなことはありませんでした。病気に対する知識がなさ過ぎて、落ち込む材料がなかったんですよね(笑)。でも今振り返れば、それって実は大事なことじゃないかとも思うんです。だって、病気の素人が勝手な想像で落ち込んでも意味ないじゃないですか。なにしろ相手は、何人もの患者さんを見てきたプロ。その意見に従うのがいちばんなんですから。むしろ、そうしてお医者様やスタッフの皆さんに責任を預けてしまったほうが、患者としては気が楽なんじゃないかしら。実際、手術までの間にできることといえば、休養と栄養をとって体力をつけるくらいですし。

とはいえ、そう簡単にお医者様を信用することもできませんよね。かくいう私も、主治医をはじめチームとなっている他の先生や看護師さん、ケアマネージャーさんなどすべてのスタッフに同じ質問を何度もしました。皆さんの答えがブレていなかったので、はじめて安心してお任せすることができたんです。自分だけで考え込まず、納得いくまで話を聞いておくのも大切だと思います。

お医者様のアドバイスで温存手術を選択。「お付き合い」で入った保険が助けに

手術や治療方針についてもそう。手術に関する確認をしたとき、「私は全摘でオッパイを失っても構わない」って伝えたんです。乳腺を取ってしまえば再発の恐れがないっていうし、もうオッパイを使うこともないだろうなとも思っていたし(笑)。でも、先生が「あるところにあるべきものがあるのは正しいことだから、残せるものなら残したほうがいいですよ」って仰ってくださって。

私の場合、手術をしたのが10年前じゃないですか。その頃に比べれば現在は手術や治療の技術も格段に進んでいますし、温存か全摘かという選択肢にも幅が出てきているんですよね。たとえ全摘になったとしても、再建手術によってほぼ完全な状態まで蘇らせることも不可能ではないんだとか。そういう知識も、やはり専門家のほうが詳しいわけですから、どんなことでも気軽に、何回でも相談するのがよいと思いますね。

知識と相談といえば、保険もそうなんですよ。正直、それまでは保険にはまったく興味がなくて、お友達に紹介されて義理で入ったのがあったかな?っていう程度だったんですけど、その保険にどれだけ助けられたことか!どんな病気でもそうなんでしょうけど、やっぱりお金がかかるのよねぇ。お医者様から「こちらの治療だと割高ですが期待できる効果が云々…」みたいに言われたら、そりゃ安心できるほうを選ぶじゃない?それで治療が終わった時に請求書を見てビックリしちゃったんだけど、保険に入っていたお陰で、随分と経済的なダメージが軽減されましたよ。

私のように、自分が加入している保険の詳細すら知らない人って結構多いと思うんです。保険も日々進化していて、専門性が高い特化型など本当に様々なタイプの商品が登場しているじゃないですか。年に一度とは言いませんけど、たまには家族全員で、自分たちが加入している保険の詳細を確認しあってみるのもよいと思うんですよ。そうすることで、あらためて互いの健康に関心を持ったり、今抱えている不安について話し合ったりすることができますからね。

なんて、ちょっとお説教じみてしまいましたけど、次回はここでお話しできなかった、乳がんになっていちばん大変だったこと、そしてあらためて確認することができた家族や仲間との「絆」についてお話したいと思います。

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がんと向き合い、いまを生き抜く 歌手 アグネス・チャン

アグネス・チャン

歌手、エッセイスト、大学教授

1955年香港生まれ。1972年「ひなげしの花」で日本デビューし、一躍アグネス・ブームを起こす。上智大学国際学部、カナダのトロント大学(社会児童心理学科)を経て、1989年には米国スタンフォード大学教育学部博士課程に進学し、1994年教育学博士号(Ph.D.)取得。1998年日本ユニセフ協会大使、2016年にはユニセフ・アジア親善大使に就任。現在、芸能活動に加え、エッセイスト、大学教授、日本対がん協会「ほほえみ大使」など、知性派タレント、文化人として世界を舞台に幅広く活躍。「スタンフォード大に三人の息子を合格させた50の教育法」(朝日新聞出版)ほか、著書は80冊以上に及ぶ。

第1回思いがけない乳がん宣告、そして緊急手術へ

掲載日:2016年10月20日

アグネス・チャン 思いがけない乳がん宣告、そして緊急手術へ

私は2007年9月に乳がんが見つかり、すぐ手術を受け、その後9年間にわたって治療を続けています。もちろん病気になるのは良いこととは言えませんが、そのことがなければ出会わなかった人々と親交を深め、また家族との絆を確かめることができ、かけがえのない宝物を得ました。それはすべて早期発見のおかげです。

なぜ私ががんを見つけることができたのか、どんな想いで手術や治療を受け、いまはどんな希望を抱いて人生を歩んでいるのか、3回に分けてお話させていただきたいと思います。

想像もしていなかった「自分ががんになる」ということ

私が歌手として日本で活動を始めたのが17歳の時です。やがてテレビから歌番組が減っていき、少しずつ活動の輪を広げていきました。そして1985年、30歳の時にエチオピアの飢餓地帯を取材したのをきっかけにボランティア活動や文化活動に興味を持ち、日本ユニセフ協会大使としてタイやスーダン、東西ティモール、フィリピン、カンボジア、イラク、モルドバ共和国などを視察し、その現状を世の中に伝える活動を行うようになりました。

乳がんの発見は2007年、とても精力的に活動を続けていた真っ只中でした。もともと私は健康優良児そのもので、大きな病気になったことがなく、肉親でがんになった人もいません。それだけに、「自分ががんになる」ということは想像したことがなく、がん検診を一度も受けたことがないし、がん保険にも入っていませんでした。

がん啓発イベントのおかげで、小さなしこりを発見

そんな私ががんを発見できたのは、「リレー・フォー・ライフ」というアメリカ発祥のがん啓発イベントのおかげです。2006年に日本で初めて開催された「リレー・フォー・ライフ」をNHKが番組で取り上げ、私はそこにゲストで出演しました。番組で紹介された主人公たちはすべて女性のがん患者で、中には末期の方もいらっしゃいました。自分自身が病気なのに、がん撲滅のために一生懸命活動に取り組む姿に深く感動し、その翌年、芦屋市で開かれた「関西リレー・フォー・ライフ」に自主的に参加したのです。

私が胸に小さなしこりを見つけたのは、まさにそのイベントに参加した翌週でした。家でテレビを観ていたら、右の乳房がかゆくて何気に掻いていました。以前なら「かゆい」で済ませていたに違いありませんが、「少しでも異状を感じたら病院で診てもらった方がいい」とイベントで言われていたので、念のためという気持ちで産婦人科に足を運びました。すると「ここでは詳しいことがわからないから」と総合病院を紹介され、正式な検査を受けたところ乳がんが見つかったのです。

手術後にわかったことですが、しこりはわずか4ミリ。周りからは「痛みもかゆみもないのが乳がんの特徴なのに、よく自分で気づいたね」とよく言われますが、自分でも奇跡だったと感じています。実は、前年の「リレー・フォー・ライフ」に参加していたがん患者さんたちと「来年も会おうね」と約束したのですが、何人かの方とはそれきりとなりました。彼女たちが天国から教えてくれたのかもしれません。「リレー・フォー・ライフ」での出会いに心から感謝しました。

乳房の全摘出も覚悟のうえ、生きるために手術室へ

不幸中の幸いで、見つかったがんはステージ1。本当に初期の初期でした。その年、私は日本デビュー35周年で、さらに日中国交正常化も同じく35周年ということもあり、平和コンサートツアーなどたくさんの仕事を入れていました。がんが発覚したとはいえ、とてもキャンセルできるような状況ではありません。そこでお医者様に「手術を何ヶ月か先延ばししたい」と話しましたが、首を縦に振ってはくれませんでした。もしその間にがんがリンパに転移してしまったら手術しても再発する可能性が高く、後遺症も重くなるから、早めに手術するべきという意見でした。その結果、偶然ですが10月1日のピンクリボンの日(乳がんの日)に手術することが決まったのです。

手術の前日、香港で医師をしている姉が病院を訪れ、「乳房をすべて摘出するべき」と主張しました。そのほうが後の治療も楽になるからというのが彼女の意見で、私もそれに賛成。乳房をなくすことは怖くありませんでした。それよりも、私には三人の息子がいますが、当時まだ小学生だった三男がせめて高校生になるまでは生きたいと強く願ったからです。

ところが、夫は猛反対。「ステージ1なら全摘出する必要はない」というのが彼の意見です。結局、議論に議論を重ね、手術でリンパにがんが転移しているかどうかをお医者様が確認し、それにより乳房を全摘出するか温存するかを判断していただくことになりました。

ですから、手術後に自分の乳房がどうなっているのか予想できないまま、私は手術室に入りました。そして手術が終わり、目が覚めた時、リンパへの転移はなく乳房の温存手術で済んだことを姉から告げられ、私は嬉しくて泣きました。

無事に手術は終了しましたが、ある意味、それからが病気との本当の戦いでした。先ほどお伝えした通り、仕事のスケジュールがめいっぱい入っていたため、手術から9日目にはイベントに出演し、10日目にコンサートを行いました。なぜか歌っている間は痛みを感じないものです。どんなに苦しい時も精神力で乗りきれるのですから、人間の体ってすごいなと思いました。そして翌年には、全国112ヶ所に及ぶコンサートツアー「世界へとどけ平和への歌声」を成功させることができたのです。

ただし、その後も放射線治療やホルモン療法を行う中で、様々な障害に悩まされました。詳しくは次回ご紹介します。また、私ががんになったことを知った時の子どもたちの反応、それを見て感じたこと、気づいたことなどもお話したいと思います。

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笑いの世界で生き続けること。落語家 林家木久扇

林家木久扇

落語家

1937年東京都生まれ。1956年に漫画家の清水崑氏門下へ入門。1960年に崑氏の紹介で、三代目 桂三木助門下へ入門し、「桂木久男」の名で見習いとなる。1961年三木助氏没後、八代目 林家正蔵門下へと移り、前座となり、芸名を「林家木久蔵」に改名。1965年二ツ目に昇進し、1969年に日本テレビ「笑点」のレギュラーメンバーとなる。1973年真打ちに昇進。2007年には、「林家木久扇」と二代目「木久蔵」の親子ダブル襲名を果たした。現在は、(社)落語協会 相談役、(社)俳人協会 会員、クジラ食文化を守る会 副理事長、(社)日本漫画家協会 参与、(社)日本作家クラブ 評議員、日本トルコカッパドキア親善観光大使など、精力的に活躍中。

第1回がんで変わるのは本人だけではない

掲載日:2016年9月7日

林家木久扇 がんで変わるのは本人だけではない

どうも、林家木久扇です。「笑点」でご存知の方も多いと思うんですが、最近では番組を観たお子さまから“黄色のおじちゃん”なんて呼ばれることもあります。そんな老若男女に人気の「笑点」には1969年(昭和44年)からレギュラーとして出演させていただいていまして、下積み時代も含めると、かれこれ50年以上この世界で生きてきました。そんな長い期間活動していると、その間には何度か落語家として危機に遭遇したこともあったんです。

そんな危機を今回は3回に分けて皆さんにお話ししたいと思うのですが、最初の1回目は、胃がんを患った時のことをお話ししますね。

心配性のかみさんのお蔭で今がある

僕は若い時から高座やイベント、テレビ出演など日々忙しくしていたので、自分の体を気遣うことに無頓着だったんです。ただ、かみさんは自身が小さい頃、体が弱かったせいか、人の身体の調子を見るのが上手で、ちょっと僕の顔色が悪いと「お父さん、病院へ行ってらっしゃい」ってよく勧めてくれたんです。

そんなかみさんがきっかけで、定期的に東京慈恵会医科大学付属病院で内視鏡検査を受けるようになったのですが、2000年(平成12年)4月にいつものように病院で検査を受けていた時、胃がんが見つかったんです。担当の医師が内視鏡を見ながら「初期のがんがあります。取っておきましょう」と言うので、てっきり内視鏡の先にメスみたいなものを付けて、ちょんちょんと手術してくれるのかなと思ってお願いしたんですよ。でも、検査終了後に手術に関する書類が出てきて、「約20日間の入院になります」って言われてびっくりしましたね。実は、5月と9月というのは、芸人にとって本当に忙しい書き入れ時なんです。高座やイベントの予定が数多く入っていて、さらに仕事柄、一席話したあとは打ち上げの宴席も多く、なかなか断れませんし、お酒は好きですしね。だから医師には出来れば秋まで手術を延ばせないかお願いしたんですが、先生から「お体が元気な今、手術する方がいいですね。秋まで待ってがんが進行してしまうほうが怖いですから」と言われたんです。

受け止め方は人それぞれ

がんの告知を受けた時、それほどショックはなかったんです。1977年(昭和52年)に、腸閉塞でお腹を27センチ切る手術を受けていたので、初めてお腹を切る時のような恐怖心はありませんでしたから。だから決断は早かったんですよ。ただ、高座やその他の仕事をどうするかの方が心配でした。仕事が出来ないということは、お金も入ってこないんですよ。さらに僕が高座に立たないと一門全員の仕事がなくなってしまうことになるんで。でもかみさんは「早く元気になってもっと稼いでくれればいいから」と。弟子たちも「師匠が元気なら仕事はたくさんくるので、早く治してください」なんて、嬉しいことを言ってくれて、なんとか仕事を調整して手術に挑むことにしたんです。

僕は「手術して早く仕事に復帰しよう!」と前向きだったんですが、息子の木久蔵はショックが大きかったようです。僕が胃がんと診断された時、「もし親父が死んだら、家族もお弟子さんもみんな路頭に迷ってしまう。そのためには自分は何ができるのか」ということを真剣に考えていたそうです。がんに対する受け止め方はそれぞれ違っていて、僕は前向きだったのに、息子の木久蔵は後ろ向きだったみたいで。売れるために、少しでも多く仕事をこなすために、もっともっと修業しなくてはと考えたようで、結局、業界では一番厳しい春風亭小朝師匠の門を叩き、稽古をつけてもらうようになったんです。がんとたたかっている僕をみての、息子の決意や成長、その想いが見えたことは嬉しかったですね。

リハビリの日々と仕事復帰への想い

実は、内視鏡で見つかったがん以外に、胃の裏側にもがんになるかもしれない腫瘍があり、それも一緒に摘出できたので、本当に早期に手術して良かったと思いました。ただ、手術した次の日から、ベッドから立ち上がるように言われたのが辛かったですね。リハビリの一環なんでしょうけど。あと、食事ですね。胃の3分の2を切除しているので、思うように食事がとれなくて苦労しました。息子の木久蔵がお見舞いに来る時はいつも夕食のタイミングで、「どんな食事か食べさせてよ」って病人のご飯を全部食べちゃうんですよ。それで「あんまりおいしくないね」と言って差し入れを渡してくれて。今思えば、僕があまり食べられないので気を使って食べてくれたのかな。弟子たちも病室に顔を出すんですが、その日の出来事やどうでもいいような話をしては帰っていきました。きっとみんな気を使って病気に関わることには触れないようにしてくれていたのだと思いますが、そんな弟子たちからも、「自分たちで師匠を支えるんだ」という思いや優しさがヒシヒシと伝わってくることで有難さを感じましたし、さらに早く復帰したいと思うようになりましたね。

入院前に仕事を調整したと言いましたが、「笑点」だけは一度も休まず出演させてもらいました。病院から仕事場に行って舞台袖で点滴をはずしてという感じでしたね。周りの方にも、病気のことはあまり言ってませんでしたが、ドーランを塗っていても頬はやつれていて、わかる人にはわかったと思いますよ。テレビを見た方から、心配してお手紙をもらったりもしましたから。その他の仕事も、できるだけ断らないようにしましたが、出来ても1日2本程度。なるべく病気と思わせず普通に見えるようにと心掛けていました。

退院してからもリハビリや通院など、大変なことは多くありましたが今こうして高座に立ち、さまざまな仕事をやらせていただけるのも、かみさんをはじめとする家族や弟子達、さらに僕を支えてくれる落語仲間、ファンの方々のお蔭だと感じています。そのことを痛感したのは、2014年のことなのですが、それはまた次回、お話しさせていただければと思います。それでは、お後がよろしいようで。

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気楽においしく、病気の予防レシピ-syunkonからだに優しいごはん 料理コラムニスト 山本ゆり

山本ゆり

料理コラムニスト

1986年大阪府生まれ。2児の母。身近な安い食材を使い、誰にでも簡単に作れてお洒落に見えるメニューが、主婦や料理が苦手な方々を中心に高い支持を得ている。「ボケ」と「ツッコミ」を盛り込んだレシピ本「syunkonカフェごはん1~5」や「syunkonカフェごはん レンジで絶品レシピ」(宝島社刊)は、シリーズ累計430万部を超えるベストセラーに。エッセイ本「syunkonカフェ雑記 クリームシチュウはごはんに合うか否かなど」「syunkon日記 スターバックスで普通のコーヒーを頼む人を尊敬する件」(共に扶桑社刊)も発売中。また、ブログ「含み笑いのカフェごはん『syunkon』」も気まぐれに更新中。

第1回がん予防に。簡単!たっぷりキャベツのごま味噌ガーリックスープ

掲載日:2017年3月8日

初めまして。山本ゆりと申します。「料理コラムニスト」という自分で勝手に作った肩書きのもと、料理本を出版させて頂いたり、レシピを考案させて頂いてます(ちなみにほぼ誰にも肩書きは浸透してません。「何それ」って聞かれたら恥ずかしくて「なんでもない」って言ってしまうので…)。

普段は濃いめの味でカロリーが高いレシピ、「米!肉!以上!」といった、いわゆる男飯もバンバン紹介していますが、このコラムでは「病気の予防」をテーマにし、いつもよりちょっと体に優しい料理を紹介したいと思います。

食と健康に諸説がありすぎる件

さて、「身体にいい食事、ってなんやろ?」という話なんですが、食と健康に関する本やサイトは星の数ほどあります。添加物や人工甘味料の危険性について書いてあるもの、逆に無添加のほうが危険だと書いてあるもの。三食きちんと取るべきで、朝ごはんは絶対必要よ!という人がいれば、いやいや空腹こそ健康を作るんだぜ、という人もいます。現代人は食べ過ぎ、断食しなはれ、炭水化物は不必要!いやいや現代人は実は栄養不足、もっとお米を食べなさい、サプリメントで補えますよ、待て待てサプリメントは安全かい?水は1日2リットル!水毒をご存知ですか?…様々な説があり、どれも科学的根拠に基づいていて実験結果も出ているってもう、どないやねーん!という話。信じていてもすぐに「新常識」「実は間違っていた!?」と新たな情報が出てきます(えっ?結局、朝の洗顔は水だけでいいん?あかんの?)。

結局のところすべてにおいて「諸説あり」。そして「正解」も人の数だけあるのではないでしょうか。極端な話でいけば、「80年間、毎日砂を食べ続けても超元気でーす!」っていうインド人のおばあさんとかいますしね。

色んなものを偏らずに食べる

そういうわけで「これを食べたら治る!」みたいな食事は無いのですが、これはあながち間違っていないんじゃないかと思うのは、色んなものをまんべんなく適量に食べるということです。例えば「がんにはニンニクが効くってよ!」と、にんにくばかり大量に食べ続けたら当然健康被害が出てきますし、塩分や油分を気にして全く摂取しないのも問題です。

また、楽しく美味しく食べること。あんまりガチガチに決まり事を作ったり考えすぎたりすると料理や食事を楽しむことができなくなってしまいそうなので、このコラムではゆるく気楽に…カロリーや塩分計算をするわけではないけれど、だいたいバランスのいい献立を載せたいと思います。

がんの予防に効果的な食材

第一回目のテーマは「がん」です。がん予防に効果的な食べ物として代表的なのが、免疫力を高める作用、殺菌作用、様々な抗がん作用の成分があるにんにくと、抗がん作用のあるイソチオシアネート、ペルオキシダーゼが含まれるキャベツです(突然難しい単語を用いて専門家みたいなことを言い出してますが、全部資料を参考にした情報です。もう1歩踏み込まれて聞かれると「あわわ…」となります(笑))。そして、にんじんなどの緑黄色野菜と、しょうが、ねぎ、玉ねぎ、きのこ類、食物繊維の多い海藻類、豆類、ごまや海苔、ベリー類…って、このあたりの食材はもう、がんに限らずですけどね。緑黄色野菜のオールマイティ具合ったら。

レシピを紹介します「たっぷりキャベツのごま味噌ガーリックスープ定食」

身体にいい食材であっても、少し珍しいもの(黒砂糖や全粒粉、りんご酢やなんちゃらオイルなど)が出てくると「無いから作れませーん」となるので、そういうものは使わずに、どこにでもある材料だけで考えました。

山本ゆり画像 レシピを紹介します「たっぷりキャベツのごま味噌ガーリックスープ定食」

『たっぷりキャベツのごま味噌ガーリックスープ』

とりあえず上から全部入れてみたよ、という感じのスープ。市販のだしやスープの素を使わず、にんにくと塩で旨味を出します。お肉は取りすぎるとよくないんで、味出し程度に少量入れています。ちょっとでもあるとワーイとなるんで。

材料(2人分)
キャベツ…2~3枚
にんじん…1/2本
玉ねぎ…1/4個
にんにく…1片
豚こま切れ肉…40gぐらい
A塩…小さじ1/3ぐらい
A水…500mlぐらい
A酒…大さじ1ぐらい
Bみそ、しょうゆ…各小さじ2ぐらい
B白すりゴマ…大さじ1(なかったらないでいいです)
B好みでしょうがのすりおろし…少々
Bオリーブ油またはサラダ油…小さじ2

(1)キャベツは大きめのざく切り、にんじんは細切り、にんにく、玉ねぎは薄切りにする。
(2)鍋にAとキャベツ以外の(1)を入れて中火にかけ、にんじんがやわらかくなったらキャベツを加え、ちょっとしんなりしたら豚肉を加え、色が変わるまで煮る。火を止め、Bを加える。

★豚こまは煮すぎると固くなるんで最後に加えます。固くても別においしいからいいです。「噛み締めますから!」っていう私みたいな人は最初から煮てもOK。
★煮ている間に水がなくなり、ただの煮物になりそうな場合は適当に水を足してください。

2つめは、オマケの副菜『五目豆』です(嘘、昆布がなかったので四目豆です)。

山本ゆり画像 2つめは、オマケの副菜『五目豆』

すべての材料を一度に入れてレンジでチンするだけのめちゃくちゃ簡単なレシピ。市販のものより断然甘さ控えめで、歯ごたえも残っておいしいです。

材料(作りやすい量。2~3人分くらい)
にんじん…1/3本(40g)
こんにゃく…1/4枚
れんこん…50g
大豆の水煮(または蒸し大豆)…100g
Aしょうゆ…大さじ1
A砂糖、みりん…各小さじ2 ※砂糖は好みで変更してください
A水…大さじ4

山本ゆり画像 にんじん、こんにゃく、れんこんは1cm角に切る(こんにゃくは気になればあく抜きを)。耐熱容器にAとともに入れ、大豆を入れて混ぜる。

(1)にんじん、こんにゃく、れんこんは1cm角に切る(こんにゃくは気になればあく抜きを)。耐熱容器にAとともに入れ、大豆を入れて混ぜる。
(2)ふんわりとラップをかけて電子レンジ(600w)で約8分加熱し、よく混ぜて冷ます。

★出来立ては味が染みてませんが、一度冷ますとばっちり染みます。

レンジ調理に抵抗がある方は、水の量を100mlにしてすべての材料を鍋に入れ、弱~中火で落とし蓋をして煮汁がほぼなくなるまで、ときどき混ぜながら煮含めれば完成です(水が途中でなくなりかけたら足してください)。

最後にもう1品、『ほうれん草のオイル和え』

山本ゆり画像 『ほうれん草のオイル和え』

レシピというほどでもない、ただ茹でて和えたもんですが、おすすめの副菜です。ほうれん草は緑黄色野菜の中でも特に栄養価が高く、抗酸化作用のあるカロテンが豊富に含まれているので、正常な細胞ががんになるのを防いでくれます。また食物繊維も豊富なので、大腸がん予防にも効果的です。油といっしょに摂ることで吸収率があがるので、茹でてからオリーブ油で和えています。

材料(2人分)
ほうれん草…1/2束(約100g)
塩…ひとつまみ
オリーブ油…大さじ1
かつお節、しょうゆでもめんつゆでもポン酢でも…各適量

(1)ほうれん草はよく洗う。鍋に湯をわかして塩を入れ、ほうれん草の根元を入れて20秒ほど、葉まで全部入れて40秒~1分ぐらい茹で、氷水にとる。
(2)絞って食べやすく切り、オリーブ油で和えて器に盛る。かつお節をのせ、しょうゆなどをかける。

次回は認知症予防にいいとされている食材を使ったレシピを紹介します。

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保険市場コラム 一聴一積

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がん保険の関連情報

毎日の暮らしと隣り合わせにある病気やケガ。
風邪など身近な病気についての知識はあるけれど、入院が必要になりそうな病気の知識がほとんどなくて心配、という声をたくさんいただきました。
そこで、保険市場では寄せられたお悩みに関するお便りのひとつひとつについて、専門家である医師に回答いただきました。あなたの負担を少しでも解消するためのお役に立てれば幸いです。

父方、母方両方の3親等以内の親族にがんで亡くなった方が複数います。皆さん気付いた時にはすでに手遅れ、というレベルでした。
私自身も常に気を付けて検診も受けてはいますが、ごく初期でも何か自分で分かるようなサインはないのでしょうか?例えば、胃がんや大腸がんなどは全く無自覚のまま進行してしまうものなのでしょうか?

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先日祖父が脳梗塞で倒れました。幸い脳梗塞は軽いもので、発見も早かったので大事には至りませんでしたが、詳しく検査してみると胃がんが発見されました。
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28歳の女性です。先日、子宮頸がんの検診に行ったところ、「異形成」だと診断されました。
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愛知県:とちおとめ♪さん(30)

現在、第一子を妊娠中の30歳です。夫の母がぼうこうがんに、私の母が卵巣がんになり、手術は成功したものの、転移の恐怖や、後遺症で苦しんでいます。
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祖父をがんで亡くしており、義父にもがんが見つかりました。医療の進歩により、かつては致命的だった他の病気などで命を落とすことが少なくなった分、がんになる確率はとても高いと思いますが、男女・年齢などで確率は違うものなのでしょうか?
がんの治療は昔と比べてだいぶ進歩していると聞きますが、治療で助かる人と助からない人の違いはありますでしょうか?また、治療にお金をかければかけるほど治りやすくなるものでしょうか?

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私自身のことですが、30歳の時に卵巣嚢腫(らんそうのうしゅ)と子宮筋腫の開腹手術をしました。今は、不妊治療中です。
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お医者さんに聞いてみよう!病気やケガのアレコレ

AFH243-2017-0206 7月14日(190714)

AXA-A1-1608-1725/849

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