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大森 優斗さんコラム - 第3回

「目標」が闘病の意識を変えた。元アメフト日本代表が闘病経験を語る理由

かつてアメフト日本代表として活躍し、現在は名門チーム「アサヒビールシルバースター」でコーチを務める大森優斗は、骨のがんである「骨肉腫」の影響により惜しくも現役を引退した過去を持つ。しかし、2016年11月に退院し、すでに投薬治療を終えている現在の大森の姿からは、一見すると骨肉腫の影響は感じられない。リハビリが実った結果だ。

「またアメフトに関わることができる」。自分の体と改めて向き合ったリハビリ

チームで練習を行うときは選手とともにフィールドに立ち、小走りで移動したり、ボールを投げたりという動きもできる大森だが、その右膝には骨肉腫の手術により人工関節が入っている。歩行を取り戻すまでのステップを大森はこう振り返る。

「人工関節に置き換える手術をして、膝を支える力が一度ゼロになったんです。自分はアスリートという自負もあり、最初は1か月くらいでいつものように歩くことができるだろうと思っていました。でも、片松葉杖で何とか歩けるようになったのは1か月半ほどたってからのこと。リハビリは筋肉を取り戻すことだと実感し、自分の体と改めて向き合うきっかけになりました」

また、入院生活から職場に復帰するには生活面のリハビリも必要なのだろう。

「入院中は『しないといけない』ことがないから、生活リズムを崩しやすいです。そのため、まずは会社勤めの時間に合わせて朝起きて、朝ご飯を食べて、午前中はプールやジムで軽運動をして、昼ご飯を食べて……と、寝ない時間を作ることから始めました。コーチとしてチームに復帰させてもらうからには自分の状態をよくしたい。『またアメフトに関わることができる』という思いでリハビリに取り組みました」

2017年1月から職場復帰を果たした大森は営業部門から物流部門へと部署は変わったが、アサヒグループ食品の社員として日々の勤務を続けている。

「自分の足はどこまでよくなるのか」という模索の中で訪れた出会い

大森は大学3年冬の甲子園ボウル(全日本大学アメフト選手権大会の決勝戦)で右膝の前十字靭帯を損傷し、長期間のリハビリを経験している。だが、それと骨肉腫のリハビリには決定的な違いがあったようだ。

「一番の違いは患者の人数。前十字靭帯損傷の場合は、手術後は『ここまでの完全復帰を目指して、こういうペースでリハビリしていこう』といった一般的な治療のフローを渡されます。でも、希少ガンである骨肉腫は患者の人数も少ないため、リハビリのペースを統計学的に割り出すことができないのです。どこまでよくなるのかが見えないという不安やもどかしさがありました」

大森は情報を求め、「どこまでよくなるのかを聞いて回っていた」という。そんな中で大森の手本となったのが、Jリーグの大宮アルディージャでプレーしたサッカー選手・塚本泰史氏。塚本氏は現役生活中の2010年に骨肉腫で右足の手術を受けている。大森にとっては闘病とリハビリの「先輩」だった。

「塚本さんのSNSを見ると東京マラソンに出たり、富士山に登ったり、自転車で大陸横断したり……自分と同じ抗がん剤治療・人工関節という立場でここまで元気になれるんだと、大きな励みになります。塚本さんを目指して、自分もリハビリを頑張ろうと強く思うようになりました」

その後、大森のリハビリをサポートしていたトレーナーが間をつなぎ、塚本氏とのつながりが生まれた。当初の大森は「どこまでよくなるか分からない状態のままリハビリをやっても、成果を得にくいと思っていた」という疑心暗鬼の状態だったという。しかし、塚本氏からの刺激を得て2017年の夏には共に富士山登頂を目指すことになった。

「目標を立てることで成長速度が上がる」という気付き

日本の最高峰である富士山は、決して登頂が楽な山ではない。しかも登頂当日の天候は雨だったそうだ。

「雨の中、登頂するのはめちゃめちゃきつかったです。足の踏ん張りが効かない砂地の部分もあって、体のバランスを保つのが難しくて……。でも、結果的にはこれまでのリハビリの成果を知るいいきっかけになりました」

一行は富士山の五合目を昼の11時半に出発。そこから6時間近くかけて7合目の山小屋に到着して仮眠を取り、翌日未明の3時半に山頂に向けてアタックを開始した。塚本氏や同行していた山岳ガイド、トレーナーといった仲間の支えもあり、必死に足を動かしていた大森にご褒美があったという。

「そのときはすごい雨で、暗くて寒くて……でも、9合目くらいで雨が止んで、前にあった雲も消えて、山頂では本当にきれいなご来光(山頂で見る日の出)を見ることができました。富士山を登る以前に、リハビリでは大変な思いをすることもあったけれども、『ここまでできるんだ』『自分の足の動きを取り戻せたんだ』と大きな達成感を味わえた瞬間でしたね」

この塚本氏との交流は、大森に大きな気付きをもたらしたという。

「塚本さんは『もう一回プロサッカー選手になる』という目標を立ててリハビリに取り組んでいて、現役のころと変わらない自分を取り戻そうとしています。そういった前向きな姿勢こそがリハビリの回復スピードを上げるきっかけになることを実感しました。どんな行動をするにしても、自分の中で『こうしたい』という目標を立てて取り組むことが、自分自身の成長速度を上げることにつながるはずです。僕はそうすることで闘病の意識や取り組み方が大きく変わりました」

それは大森にとってリハビリにとどまらない人生の気付きになった。

「コーチとしてアメフト競技に復帰できた今、選手たちによりよいテクニックや作戦を共有して、日本一のチームを目指しています。選手たちを良い方向に導くには、まずは自分自身がはっきりとビジョンを持ち、『こうしたい』と自信を持って伝えていくことが大事。そういう点でも『目標』を立てることの大切さをリハビリを通して改めて知ることができました」

最後に大森は、「今この若さでコーチの経験を積ませてもらえているのは貴重なことです。僕のコーチとしてのキャリアはまだ始まったばかり」と話した。大森は、骨肉腫を乗り越え、コーチという新たな「今」を生きている。

PROFILE

大森 優斗

大森 優斗(オオモリ ユウト)

社会人アメフト アサヒビールシルバースター DBコーチ

1992年大阪府生まれ。大阪の関西大倉高等学校からアメリカンフットボールを始め、進学した関西学院大学では3度の日本一を経験。2014年3月にアメリカンフットボール大学世界選手権に選抜され、5月に出場。同年4月にアサヒフードアンドヘルスケア(株)(現アサヒグループ食品(株))に入社と同時にアサヒビールシルバースターに入部し、2015年には社会人アメリカンフットボールのオールXリーグに選出される。現在、アサヒビールシルバースターのディフェンスコーチという立場でアメリカンフットボールに携わっている。

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