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大森 優斗さんコラム - 第1回

元アメフト日本代表が指導者に転身して見えたもの

グラウンドで選手と汗を流すその姿は、がんの治療を終えて1年後とは思えない。しかしアメリカンフットボールの名門「アサヒビールシルバースター」のコーチを務める25歳の大森優斗は、骨のがんである「骨肉腫」の影響で現役を2年で退いた。その右膝には人工関節が入り、30センチの傷跡もくっきりと刻まれている。

俊足を生かした守備で活躍した選手時代。リーグ優秀選手にも

大森がこの競技と出会ったのは高校入学後のこと。中学まではサッカー少年だったが、大森が入学した関西大倉高校は偶然にも全国的なアメフト強豪校だった。「初心者も多く、一から頑張りたい人に向いているスポーツと説明を受けた」こともあり、大森はアメフト部入りを決断した。

運動能力に恵まれていた大森は、高2でその後の「天職」となったディフェンスバック(DB)のポジションと巡り合い、強豪・関西学院大学に進む。大学3年冬の甲子園ボウルで右足の前十時靭帯を断裂する試練もあったが、大森が在学した4年間で関西学院大学は3度も大学日本一に輝いている。

そして2014年にアサヒビールシルバースターへ加入すると、2015年の「オールXリーグ」(そのシーズンに優秀な活躍をした25名の選手)に選ばれるなど、社会人リーグでも実力を示していた。177センチ72キロとそこまで大柄ではないが、40ヤード走は4秒5とチーム最速。相手の得点源であるレシーバーと対峙し、パスとランを止めることが大森の役目だった。

「パスカバーは自信があった。単純な足の速さだけでなくプレーに対する反応スピードは人の何倍も速かったと思う」という大森の言葉は大げさではなく、日本代表での活躍も期待されていた。

「もしかして、がん?」選手生活に突然襲いかかった骨肉腫

社会人3季目は、新たにチームの副将も任される予定だった。しかし、そこに選手生命を脅かす事態が起こる。「2015年11月末あたりから右膝にちょっと違和感があった。年が明けて1月くらいに病院へ行き始めた」という右膝の状態は深刻なものだった。2016年2月にがん研有明病院で受けた病理検査により診断が確定。結果は「悪性の腫瘍(骨肉腫)」だった。

「病院名からして、『もしかしたら俺はがんなのかな?』と思いながら通っていた」という大森の悪い予感が的中してしまった。右足の切断こそ免れたが、2016年9月には骨や膝蓋腱(しつがいけん)靭帯を除去する大手術が行われた。

大森は投薬治療も既に終了し、今はリハビリとしてプールやジムなどで運動をしている。「今は、人工関節になじむ動きを習得しているところです。治療が終わってからも抗がん剤やホルモン剤を飲む方もいますが、僕の場合はありません」。

そう語る大森だが、現役時代には70キロ以上あった体重は、抗がん剤治療による食欲の低下などもあり現在は64キロまで減少。とはいえリハビリの成果は間違いなく出ていて、トレーニングウェアで動く姿から不自由さを感じ取る人はほとんどいないだろう。

コーチを務めたことで生まれた、アメフトの新たな見方

2017年1月にフィールドに復帰した大森の仕事は、DBの選手ではなく、コーチ。しかし就任は自然な流れだった。「膝の手術によって選手生活は難しくなってしまった。でも、これからもチームに携わりたいと思っていた。今、自分に何ができるかといったら、コーチしかない。チームの皆も『もちろん来るんだろう?』と迎え入れてくれた」。

大森は具体的な仕事内容をこう説明する。「選手にテクニックを教えたり、ほかのコーチ陣と一緒に作戦を考えたりします。アメフトは、主にランを止める作戦とパスを止める作戦の2つがあり、僕はパスを止める作戦を選手に伝えています」。

守備の練習になると、大森はしばしば司令塔(QB:クォーターバック)役を務める。攻撃と守備のチームに分かれるアメフトにおいて、大森は守備側の選手だった。しかし大森は高3のときに、その運動能力と判断力を買われてQBも務めていた。そのため大森は今も30ヤード程度のパスなら問題なく投げられる。

大森は闘病を経たことで、アメフトに新たな発見もあったという。「以前までは自分が注目する選手だけを見ていましたが、今は相手がどう守っているのか、全体を見渡すようにして試合内容をチェックするようになりました。そうやって見ると、自分が今まで気付かなかった他チームの作戦に気付くことができます。これはコーチを務めたことで生まれたアメフトの新たな見方です」。

1年生コーチとしての葛藤と自負、そして続くチャレンジ

フィールドへの復帰は喜ばしいことだが、戦いの現場に戻った以上は喜びと同時にストレスもある。大森は1年生コーチとしての悩みを吐露する。

「選手へ指導するときに、『僕ならできるのに、なぜできないんだろう?』と思うことが多くあります。そのたびに『僕の当たり前と選手の当たり前は違う』ことを痛感しています。ただ、教え方をちょっと変えるだけでできるようになるということもあります。選手への指導法をこの年齢で勉強させてもらえるのは本当にありがたいこと。今は葛藤の時期なんだろうと考えています」。

このような悩み・葛藤が生まれるのも、コーチという新たな仕事へ真剣に取り組んでいるからこそ。大森にとっては成長への前向きなステップなのだろう。

大森が指導する選手の中には当然ながら年上もいるため、「『〇〇さん』って呼びながら教えています」といった“気遣い”もある。その一方で、コーチと選手の間にはしっかりと線を引き、過剰な遠慮はしていない。「怒るときは怒ります。僕も中途半端にアメフトをやってきたわけではなくて、高校生からやってきた知識の蓄えは十分にありますから」。

表情や物腰の柔らかい大森だが、その言葉から時折「芯の強さ」が伝わってくる。新人コーチとしての葛藤はあるが、指導をしながら貴重な気付きも得ているようだ。「指導する人の表情と自信、声だけでも、選手たちをいい方向に持って行けることがあります。だからこそ僕は、おどおどした態度でなく、自信を持って選手たちへ発信するようにしています」。

大森は現在の目標を「よりいいテクニック・作戦を共有して、選手たちが活躍してくれること」と話す。病魔は大森から選手生活を奪った。しかし大森のアメフトへの思いはまったく損なわれずに残っている。フィールドの中と外で立ち位置は変わっても、大森のチャレンジは続いていく。

PROFILE

大森 優斗

大森 優斗(オオモリ ユウト)

社会人アメフト アサヒビールシルバースター DBコーチ

1992年大阪府生まれ。大阪の関西大倉高等学校からアメリカンフットボールを始め、進学した関西学院大学では3度の日本一を経験。2014年3月にアメリカンフットボール大学世界選手権に選抜され、5月に出場。同年4月にアサヒフードアンドヘルスケア(株)(現アサヒグループ食品(株))に入社と同時にアサヒビールシルバースターに入部し、2015年には社会人アメリカンフットボールのオールXリーグに選出される。現在、アサヒビールシルバースターのディフェンスコーチという立場でアメリカンフットボールに携わっている。

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