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がんを“乗り越える”ために大事なこと

鈴村 拓也さんコラム-第2回

最大の力となったのは、家族や仲間の支え

フットサルチーム「デウソン神戸」の鈴村拓也監督は、5年前の選手時代に上咽頭がんと診断された。今はほぼ完治に向かっているが、5回の抗がん剤投与と35回の放射線治療を受けるなど、闘病中には大きな不安や苦労もあった。そんな鈴村ががんを乗り越える上で最大の力となったものとは。

マイペースな妻と娘に救われた。病を通して深まった家族の絆

「がんが発覚してからピッチに復帰するまでは、これまでの人生で体験したことのないことばかりで……。『これから一体どうすればいいんだ』と頭を抱えることもありました。僕一人では絶対に乗り越えられなかったですね」

鈴村のがんが発覚したのは2012年12月のことだった。

「実は当時、妻のお腹の中には2人目の子どもがいたんです。自分がこんな状態で、これから子どもを2人育てていけるのか。そもそも自分が入院していて、妻は無事に子どもを産むことができるのか。家族のことがとにかく心配でした。でも妻は『私は大丈夫。絶対に元気な子を産むから。あなたの仕事は病気を治して家に戻ること。それだけを考えて頑張って』と言ってくれたんです」

そんな妻・篤子の言葉に勇気づけられ、鈴村は治療に専念することにする。篤子には『これから生まれる子どもが夫の希望になれば』との思いもあった。そして無事、2013年3月に元気な男の子が生まれる。

「妻が入院する病院で息子を抱いたときは、これまでの治療の苦しさも一気に吹き飛ぶような、かつてない大きな喜びを感じました。それにしても、父親が入院したと思ったら、今度は母親も入院して、その上、弟まで生まれたわけで……一番大変だったのは長女だったかもしれません」

当時、幼稚園に通っていた長女は、鈴村が入院してからは妻と毎日病院に顔を見せた。マイペースな妻と娘の性格も、大きな救いとなったようだ。

「娘は毎日、病室から帰るとき、『パパと離れるのは寂しい』と大泣きしていました。でも部屋を出て、廊下を曲がったあたりで、もうけろっと泣き止んでいるんです。それを知って、自分の前では演技をしているのか、と疑ったこともあります(笑)。妻も細かいことを気にしない人で、僕が治療の後遺症で食事ができないときでも、『妊婦だからお腹が空く』と平気で何かを食べていました。『においで気持ち悪くなるからやめてくれ』と訴えてもおかまいなしなんです」

そんな家族の前では、鈴村も治療によるつらさを見せず、普段通りの自分でいるよう心がけた。

「副作用でつらいときは、どうしてもイライラしてしまいましたけどね。『あなたは「大丈夫、大丈夫」と言っていたけど、全然大丈夫そうじゃなかった』と退院してから妻に言われました。すべてお見通しの上で、僕を温かく見守り、支えてくれていたんです」

息子が生まれてからは、病室が家族4人の団欒の場となった。

「毎日、『今から行くよ』と電話が来るとうれしくて、3人が到着するのを心待ちにしていました。いつも半日ほど病室にいて、テレビを見たり、お菓子を食べたり。ほとんど自分の家状態でしたね(笑)。家族が帰り、一人になると急に寂しくなることもありましたが、そんなときは退院したら家族と旅行へ行こう、こんな遊びをしよう、と楽しいことを考えるようにしました。僕が一人で落ち込まない時間を作ってくれたのも家族なんです」

『お前も絶対にピッチに戻って来い!』……その言葉が復帰の力に

家族とともに、鈴村の大きな支えとなったのがフットサルの仲間たちだった。デウソン神戸のメンバーは、鈴村の治療費の負担を少しでも減らそうと、募金活動をしてくれた。ライバルである湘南ベルマーレの選手全員からの寄せ書きも病室に届いた。

「みんな練習や試合で忙しいのに、僕のために時間を割いて病院に来てくれました。病室では大した話はしなくても、顔を見ることができただけで僕にとっては大きな支えになりました。彼らの思いに応えるためにも、絶対に治してピッチに戻ろうと思いました」

そして2013年5月に退院。さっそく復帰に向けたリハビリを始めた。そんなとき、知人から湘南ベルマーレフットサルクラブの久光重貴選手が肺腺がんになったことを知らされる。鈴村はいてもたってもいられず、久光選手に電話をした。

「『俺は9月の湘南ベルマーレ戦で必ず復帰する。だからぜひ神戸まで試合を観に来てくれ。お前も絶対にピッチに戻って来い!』と伝えました。久光に目標を与えることで、治療を頑張ってほしかったんです。また当時の僕は、ちょっと走っただけでめまいがしてフラフラするような状態でした。でも彼との約束を守らないわけにはいかない。彼との約束があったからこそ、復帰に向けて頑張れたんです」

約束通り、9月の復帰戦には久光選手も駆けつけた。鈴村は体を張った守備と気迫に満ちたプレーで、チームを勝利に導いた。試合後の挨拶で、「みなさんが僕のことを支えてくれたように、湘南ベルマーレの久光選手も支えてください」とファンへ訴えた。

その後、鈴村は久光と頻繁に連絡をとり、「お前は大丈夫だ」と何回も励ました。さらに久光選手とともに小児がんの子どもを支援するフットサルリボンの活動を始めた。

「子どもが入院する病院を慰問してボール遊びをしたり、クリニックやエキシビションマッチをやったり。そんな活動をこれからも続けていきたいです。がんになると、本人だけでなく兄弟や家族も大変な思いをします。だから家族へのサポートにも力を入れていきたいと考えています」

昨年4月に監督に就任した鈴村は、今ではフットサルを中心とした日々を過ごしている。家に帰れば、家族とたわいもない話をしたり、テレビを観たり、たまに喧嘩したり。そんな、かつてと変わらぬ日常を送っている。

「家族と、仲間と一緒にいられること。ただそれだけのことが、どんなに幸せなことか。どれだけ困難を乗り越える力となるか。改めてひしひしと感じています」

デウソン神戸は今年から2部リーグでチームを立て直すことになった。今度は監督としての大きな試練に向き合っている鈴村は、家族や仲間の支えを実感しながら、今さらに前進しようとしている。

PROFILE

鈴村 拓也

鈴村 拓也(スズムラ タクヤ)

フットサルクラブ デウソン神戸監督

1978年愛知県生まれ。小学校からサッカーを始め、2000年からはフットサルを始める。2009年にスペインから帰国し、デウソン神戸に入団。2012年12月9日の試合後、「上咽頭がん」と診断されたことを明らかにし、治療に専念。抗がん剤投与や放射線治療などを行い、2013年の5月に退院。6月からデウソン神戸の練習を再開し、9月22日の湘南ベルマーレ戦で9カ月ぶりに戦線復帰を果たす。2014年9月27日の府中アスレティックFC戦で、Fリーグ史上88人目のFリーグ通算100試合出場を達成。2016年のシーズン終了をもって現役を引退し、2017年シーズンよりデウソン神戸の監督に就任した。

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