コロナ禍以降の生活と新しい技術の進歩に対して思うこと - 人間の本質をあらためて考える(東 浩紀さんコラム - 第2回)

人間の本質をあらためて考える

前回のコラムでは、新型コロナウイルスの感染拡大が人類に及ぼした影響、またそこから得た教訓や認識しておくべきことについて、私の考えをお伝えした。今回は、さらにコロナ禍が人々の暮らしやコミュニケーションに与えた影響や、パンデミックが浮き彫りにした日本社会の課題についてお伝えしたい。

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大きな出来事があっても、人間の根の部分は簡単に変わらない

皆さんもすでに実感しているように、今回のパンデミックは暮らしやコミュニケーションのあり方を大きく変えた。人と会うことが制限され、オンラインでのやり取りが増え、会食や旅行の機会は大きく減った。ただ、このような変化は、コロナの収束とともに、ほぼ元に戻るだろうと私は考えている。実際、すでに世界を見るとそうなりつつある。人と直接会って話をしたい。仲間とともに食事を楽しみたい。遠くに旅行に行きたい。そんな人間の根源的な欲求や行動様式は、そう簡単に変わるものではないからだ。

ビジネスの面でも、コロナ禍を機にリモートワークが普及した。ただ、リモートワークではビジネスの質や効率が落ちるという理由で、従来の対面でのやり取りへと戻し始めている企業も多い。都会から田舎への移住、脱東京のトレンドも、同じようにいずれ揺り戻しが起こるだろう。都市に人が集まることは世界的な現象であり、その方向性はこれまで通り変わらないと見ている。

今回のパンデミックでは、世界ですでに600万人もの人が亡くなっている(2022年6月時点)。ウクライナ侵攻では今も日々、多くの人が亡くなっている。ともに大きな悲劇であり、深刻な問題だ。でも、当然ながら、すべての人が嘆き、悲しんでいるわけでもない。実際、感染が収束に向かい始めた日本のゴールデンウィークには観光地に出かけ、コロナ禍が始まる前のように買い物や食事を楽しむ人もいた。

そんな人々を「世界で苦しんでいる人がいるのに脳天気だ」と批判しても意味がない。私はむしろそこにこそ、人類の希望があると思う。世界でどんなに悲劇が起き、どんなに人が死んでも、日常は当たり前に進んでいく。いい悪いではなく、人間社会とはそういうものだ。戦争や疫病、災害によって世界で何千万人が亡くなろうと、異なる場所では当たり前の日常が続いている。

空気でものごとが進み、責任の所在がわからない日本社会

今回のパンデミックは、日本社会のいくつかの欠陥や弱点も露呈した。その一つに、なにごとも空気でなんとなく決まり、誰も責任が問われない社会の体質というのがある。日本では飲食店への厳しい営業制限に始まり、外出自粛やマスクの着用などの感染拡大予防対策が、法律に基づかない要請レベルで行われた。国民の側も、なんとなく「みんながやっているから」といった感覚で、消毒やマスクの着用などを行っていた。

「結果的に日本は感染が抑えられ、死者数も少ないのだからいいではないか」という意見も耳にする。でも私はこのような考えは危険だと思う。今後、いつ再び感染が拡大するかはわからず、日本の感染対策が成功したと言うにはまだ検証ができていないからだ。

何より危険なのは、日本のような自粛頼みの手法は、下手をすると誰もコントロールできなくなることだ。きちんと方向性を示し、責任をとるリーダーがいないまま、なんとなくの空気でものごとが進んでいく。日本社会ではよくあることだが、このようなやり方は、誰も文句を言えないまま、おかしいと思っている方向に暴走していく可能性がある。過去にも同じような道を辿った結果、大失敗した太平洋戦争の経験がある。よって私はこのようなやり方は、どうしても信頼する気にはなれない。

もう一つ、今回のパンデミックで明らかになった日本社会の弱点が、国と地方自治体との関係だ。感染防止対策において、国と地方自治体がたびたび、衝突する場面があった。ワクチン接種においても、国がリーダーシップを発揮できず、地方自治体任せだったため、さまざまな混乱が生じた。

日本では仕組み上、国が直接に国民の多くの個人情報を持つことができず、直接サービスを提供することはできない。そのことが、今回のコロナ禍のような全国的な危機では、大きな弱点となることが改めて明らかになった。これを機に、国と地方の関係を含めた国全体の形を見直す必要があるだろう。

しかし、今回のコロナ禍にはよかった面もあった。デジタル化やオンライン化、電子マネーやセルフレジの導入などが一気に進んだことだ。日本のような旧制度が残っている社会は、危機でもないとなかなか変われない。これをきっかけに、デジタル化による利便性の向上はどんどん進めるべきだと思う。とくに日本は地方自治のもと、それぞれの自治体がITシステムを個別に構築しており、それらが連携されていない。そのため同じような申請を自治体ごとに何度も行わなくてはならない、といった馬鹿げたことがよくある。これではIT化の本当のメリットは感じづらい。これを機に、一刻も早く行政の申請などはパソコンやスマホなどを使ってシンプルな方法でできるようにしてほしい。

情報技術が発達するだけで、社会がよくなることは決してない

私はテクノロジーの進歩自体は否定していない。ITやAIによって社会が便利になること自体は大歓迎だ。ただ、テクノロジーが進歩し、どんなに社会が便利になっても、人間の本質やコミュニケーションのあり方などは、基本的に変わらないと考えている。

例えばSNSによって、人々のコミュニケーションが本質的に、革新的に変わったとは思えない。たしかに私自身、SNSを使うようになり、ハンドルネームしか知らない知人が増え、5年も直接会っていないような人でも身近に感じられるようになった。これらは一見、新しいコミュニケーションの形に見えるかもしれない。

でも、SNSのない時代にも、直接一度も会ったことがない人と手紙でやり取りし、親密な関係性を保ち続けるということはあった。SNSによるコミュニケーションはまったく新しいものではなく、従来とは量とスピードが違うだけなのだ。今、世界のIT企業が参入しているメタバースも、人間のあり方やコミュニケーションを劇的に変えるものではないと見ている。

例えば、1990年代にインターネットが爆発的に普及し始めた頃から、ネットが民主主義をバージョンアップし、社会をよくするという議論をよく耳にした。それから30年経ったが、今ではネットが民主主義をよくしたとは誰も思わないだろう。むしろ、SNSがフェイクニュースを生み出し、客観的な事実よりも虚偽情報が人の感情を動かす状態をつくり、世界中でたびたび民主主義が危機に瀕する大混乱を招いている。

ネットによって実装された、新しい民主主義の形は実現していない。ネットが変えたのは、政治に関する情報の流通の部だけで、それも悪い方向へ変えてしまった。情報社会が実現すれば、自然に民主主義の理想が実現し、社会はよりよくなる。そんな90年代のビジョンは夢物語であり、見事に裏切られたわけだ。どんなにテクノロジーが進歩し、情報社会になっても、人間は戦争をする。パンデミックによるパニックもうまく抑えられない。

結局のところ、医学やテクノロジーがいかに進歩しようとも、人間の本質はほとんど変えられない。人間はいつの時代も、同じようなことを繰返してきた。私たちはそのことを深く自覚したうえで、日常をきちんと生きていくしかないのだ。

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PROFILE

東 浩紀(あずま ひろき)

東 浩紀(あずま ひろき)

批評家、作家

1971年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(1998年/第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(2001年)、『クォンタム・ファミリーズ』(2009年/第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(2011年)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(2017年/第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(2019年)、『テーマパーク化する地球』(2019年)、『哲学の誤配』(2020年)、『ゲンロン戦記』(2020年)ほか多数。対談集に『新対話篇』(2020年)がある。

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