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世界が広がる生き方をしよう

林 周作さんコラム - 第1回

「行動」することで未来は変わる

私は今、渋谷にあるカフェで、旅して見つけた世界の郷土菓子を作っている。これまで50カ国以上を旅し、500種類以上の郷土菓子を研究してきた。菓子作りの師匠は、世界各国で出会った人々だ。ここでは、旅で出会ったお菓子や文化、実際に見てきた“世界”をお伝えできたらと思う。

はじまりはいつも突然に

“郷土菓子の世界”に興味を持ったのは、料理学校を卒業した年のことだった。それまで、本やインターネットにはヨーロッパのお菓子が沢山あるのに、どうして巷の洋菓子屋にはそれらが並んでいないのだろう、というのが疑問だった。「日本では知られていない。でも世界のどこかで愛され続けている」そんな世界の郷土菓子の存在に、私は妙に惹かれた。日本にいても情報は得られるが、実際に現地ではどのように食べられているのか。どんな味がして、どんな人が食べているのだろう?素敵なカフェのショーケースに並んでいるのだろうか……お菓子に対しての想像は膨らむばかり。そう考え始めるともう、行って確かめないわけにはいかなかった。

初めて郷土菓子研究の旅に出たのは21歳の頃。ヨーロッパを3カ月周遊した。旅の始まりは南イタリアのシチリア島だ。シチリア島はアラブ文化の影響が色濃く残っていて、シチリアの郷土菓子カッサータやカンノーリの起源もそれに由来していた。ショーケースを賑やかす風貌もさることながら、なんと言ってもとにかく甘い。ひと口食べると、あまりの甘さに身体が震えてしまったほどだ。でも、カウンターではサラリーマンが朝刊を片手にエスプレッソを飲み、店員さんは歌い、抱き合い「これぞ思い描いていたイタリア!」という光景が目の前に広がっていた。強烈な甘さにうろたえながらも、この光景がもう100点だった。不思議なことに、気が付くと震える甘さのお菓子をぺろりと一皿食べきってしまっていた。

その後北イタリアへ移動すると、陽気さは薄れ、お菓子は見た目も味も上品になっていく。さらにフランスへと北上すると、かつてイタリアからフランスへ渡り変貌を遂げたマカロンのように、お菓子はグラデーションのごとく洗練された姿へ移り変わっていった。

ハンガリーやチェコへ行けば聞いたことも無いモノばかりで、発掘の毎日。そんなに雑に作っていいのか、と驚愕してしまうスペインのお菓子屋があれば、ピシッと作るドイツのお菓子屋もある。お菓子だけ見ても、国民性の違いを感じ取れるのは面白かった。

Don’t think!考えるより先に動いてみる

帰国後、1年足らずでワーキングホリデービザを取った。行き先はフランス。言葉は少しも話せないし、資金も無かったが、とにかく本場で郷土菓子に触れたいと思い、身一つでフランスへ向かった。

住んだのは、フランス北西アンジェという街だ。ルームシェアで一緒に住むことになったフランス人やアメリカ人との会話や普段の買い物で、少しずつ語学も身に付けた。何とか雇ってもらえたワイナリーのぶどう畑にバスで向かう間の、観光では味わえない穏やかな景色は今も心に残っている。田舎町のパティスリーで気取らないお菓子を買って帰るのも、日課の一つになっていた。

ぶどうの季節が終わると、次の働き口を探すため、自分でもなぜそうしたのか分からないが、約1000km先のアルザス地方まで自転車で向かうことにした。今思い返しても、ワクワクする気持ちに突き動かされたとしか言いようがない。道中、フランス各地の菓子を探しながら、夜は民家を訪ねて宿泊。酪農の仕事を手伝ったり、シャンパーニュ工場を見学させてもらったり、不思議な体験を重ねながら移動してアルザスへたどり着いた。

老舗パティスリーでの1年が教えてくれたこと

クリスマスシーズンは、絶対にお菓子屋で働くと決めていた。15件ほどのパティスリーに問い合わせ、1件だけが面接をしてくれることに。しかし、パティスリーでの経験が無いことを伝えると、すぐに「不合格」だと帰されそうになった。私はすかさず、せめて試用だけでもとお願いすると、オーナーは呆れ顔で1週間のテスト期間を設けてくれた。

首の皮一枚で繋がった気分で翌朝出勤すると、ホールケーキの部署へ配属。ケーキ型を何十台もテーブルに並べて一気に作るのは、まさに職人技だ。正直なところ、その時は生菓子を作った経験も少なく分からないことだらけだったが、料理の経験だけはあったので“できるふり”をして何とか試用期間は無事に終了。最後の最後、シェフから「合格」の一言を頂き、晴れて働き口が決まった。

アルザスのパティスリーにて

パティスリーでの仕事は特にクリスマスは大忙しだったが、とても充実していた。フランスではクリスマスはもちろん、正月にもケーキを食べ、1月6日のエピファニーの祝日(※カトリック教徒の祝日)には、ガレットデロワというアーモンドパイを食べる。2月になるとバレンタインのモチーフは“豚”であることを知り、イースターには卵の形をしたお菓子が並んだ。見るものすべてが新しく、一日一日が貴重だった。日本でも正月のはなびら餅に始まり、お彼岸のおはぎなど季節ごとのお菓子があるように、フランスでの1年を通して、その変遷を体験できた。ただ、約1年間毎日大量のケーキを作りながら「フランス人はケーキを食べ過ぎだ」と確信したりもした。

働き方にも大きな驚きがあった。残業が1日たりとも、1分たりとも無かったのだ。それに加え、休憩時間はしっかり2時間取る。これは日本には無い感覚だと思うが、私は今でも、フランスでの働き方を目指したいと思っている。

不安は捨てよ 旅に出よう

働き始めて半年が経った頃、ふと次の目標が頭に浮かんだ。ユーラシア大陸、郷土菓子、自転車……それらのキーワードが浮遊すると、楽しい旅のイメージは止まらなかった。

思い立ったが吉日、すぐに自転車屋へ向かい「日本まで帰れる自転車をください」と熱々出来立ての思いを店員さんに伝えていた。その場で購入したのは1100ユーロ(約13万円)の青い自転車。実はこれまでママチャリにしか乗ったことが無かったが、だからと言って躊躇することはなかった。とりあえずペダルを踏めば前へは進めるし、自分さえ動き出せば、広がる景色は確実に変わっていく。それからバッグや寝袋などのアイテムを揃え、2012年6月1日。アルザスから日本を目指し、約2年半の自転車旅が始まった。

自転車旅の出発当日

レシピ
「ポルヴォロン(スペイン)/ヨーロッパ3カ月周遊旅の中で出会ったお菓子」

スペインのお菓子「ポルヴォロン」
材料
薄力粉…150g
アーモンドパウダー…50g
ラード…75g
粉砂糖…75g
  1. (1)薄力粉をフライパンでほんのり色付くまで弱火でじっくり炒め、アーモンドパウダーを合わせて冷ましておく。
  2. (2)ボウルに常温のラード、粉砂糖、すりおろしたレモンの皮を入れ、ヘラで混ぜ合わせる。
  3. (3)(1)の粉をふるい入れ、まとまるまで手で混ぜ合わせる。冷蔵庫で30分以上休ませる。
  4. (4)ひと口大の大きさに丸め、クッキングシートを敷いた天板に並べる。
  5. (5)150℃に予熱しておいたオーブンで25分間焼き、冷ませば出来上がり。

PROFILE

林 周作

林 周作(ハヤシ シュウサク)

郷土菓子研究社代表、菓子職人

1988年京都府生まれ。2008年にエコール辻大阪のフランス・イタリア料理課程を卒業。世界の“郷土菓子”の魅力にとりつかれ、各国のお菓子を実際に食べ、味を伝える菓子職人に。2012年6月から約2年半をかけ自転車でユーラシア大陸を横断。2016年7月に東京・渋谷に、旅で出会った世界の郷土菓子を提供するBinowa Cafeをオープン。これまで『THE PASTRY COLLECTION』(KADOKAWA)など3冊の本を上梓。今も各国を訪れてはその土地の郷土菓子を研究し、その数500種以上、訪れた国は50カ国を超える。

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