「為替の人」が打ったサプライズ~マイナス金利の効果は疑問-伊藤 洋一の視点(伊藤 洋一さんコラム-第7回)

伊藤 洋一 (いとう よういち)

第一印象から記そう。1月末に発表された「マイナス金利導入」。すぐ頭に浮かんだのは、「やはり黒田さんは為替の世界の人だった」というものだ。総裁はアジア開発銀行総裁が前職だが、その前は現財務省で国際金融畑が長かった。局長、財務官と階段を上る中で「円高対策」「強力介入」が仕事のかなりの部分を占めた。

伊藤 洋一 (いとう よういち)

為替で相場を大きく動かすには「サプライズ(の介入)」が必要だ。黒田さんは「マーケットとの対峙(円高阻止)」を為替の世界で学び、それを成功体験とした。日銀総裁としても金融政策にそのやり方を採用している。当初2回のバズーカは成功した。「量」と「タイミング」の対策で、為替と似ていたからだ。ところが「マイナス金利導入」は「効果」を生む以前に「大混乱」を招来した。三度目のバズーカにはならなかった。

なぜか。金利は「体系」だからだ。日銀と商業銀行間の金利をベースに「金利体系」が出来上がっている。その一カ所をいじるとシステム全体が揺れる。実際に金融界は大混乱になり、金融商品の中には「発売停止」に追い込まれたものも出た。全く準備が出来ていなかったからだ。黒田総裁はずっとマイナス金利を「やらない」と言っていた。それを突然サプライズ的に導入したのだからマーケット、金融界全体が動揺したのは無理もない。業界での日銀の評判は落ち、世界を巻き込んだ混乱に国際的な批判が出た。

しかも仕組みが複雑だった。「日本銀行当座預金を3段階の階層構造に分割し、それぞれの階層に応じてプラス金利、ゼロ金利、マイナス金利を適用する」となっていて、発表文をよく読んだ人しか「マイナス金利が課される預金は一部」と分からなかったし、逆にそれが分かったら「政策の効果は薄いのではないか」という疑念が生じた。むろん発表後のマーケットが「円高・株安」という政策意図とは逆の方向に動いたことには、アンラッキーな面があった。アメリカの成長に対する疑念が生じたからだ。前二回のバズーカでは米経済に対する強気見通しの中で大幅な円安が惹起され、株も上がった。

もっとも「静かな根回し、市場との対話」がなかったことには問題があったが、「マイナス金利」(欧米ではnegative interest rate と言う)が“奇策か”というとそうではないと筆者は思う。それが第二の印象だ。マイナス金利は既にスイス、EUなど欧州を中心に広がっており、2月中旬にはスウェーデンがマイナス幅を拡大した。EUも拡大に追随するとの見方があるし、日銀もマイナス幅を今後拡大するのではないかとの見方が強い。つまり世界中の中央銀行が「2%の物価上昇率」を達成するための方策模索に難渋しており、他の手段を見いだしがたい状況だ。今は利上げモードのアメリカも、次にリセッション(景気後退)に陥ったらマイナス金利に追い込まれるとの見方もある。未知だが、効果的になりうる政策だと思う。イエレン議長も議会証言で「FRBはかつてマイナス金利を検討した」と認めている。

しかしマイナス金利政策が成功するためにはいくつかの重要な前提がある。何よりも「企業や個人が、金利が安くなったからお金を借りて設備投資をするなり住宅ローンを組もう」と思っていなければならない。ニーズがあってこそ商業銀行からお金が出て、それが投資や購買に回って経済活動が活発化する。しかし今はそうなっていない。残念なことだし、今までの経済学が予想してこなかったことだ。

世界を見ると一部の企業や家計は大きな貯蓄を抱える一方で、世界の多くの国の政府、企業、家計では膨大な債務(借金)が積み上がっている。格差だ。健全に借りられる中産階級が収縮し、「さらに借りる」という状況でもない。「資金需要はいつでもあるもの」という従来の前提が崩れている。これは経済学全体にとって大きな問題で、恐らく先進国を中心に労働力人口の頭打ちなどが関係している。

環境も良くない。世界の中央銀行はマイルドなインフレを狙っているが、次の「二つの革命」によって世界の物価情報には強い下方圧力がかかっている。一つはシェールオイル生産の増加。基幹エネルギーである石油価格は1バレル100ドル超から30ドル前後に急落した。著しいデフレ要因だ。また様々な形で生産革命が進む。つまりモノが安く出来る時代が続いている。ミャンマーなど新興国の市場経済への参加(安い労力が供給される)によって「世界の工場」の所在地は移り変わり、商品製造コストは継続的に低減している。3Dプリンターなどの技術革新による生産コストの低下もある。

つまり「金利を下げれば、マイナスにさえすれば経済活動が活発化する」という時代ではもうない。欧州各国のマイナス金利政策は既にかなり長期間続いている。にもかかわらず、「欧州の病」は解消していない。問題だらけだ。恐らく日本でも、マイナス金利政策だけでは景気の浮揚、デフレ脱却は無理だろう。

必要なのは

「技術革新を背景とする新種需要創造」
「規制改革による需要創造、企業のやる気刺激」
「財政政策の機動的発動による包括的な経済政策」

だろう。

マイナス金利だけで日本を支えられるとはとても思えない。日本、それに世界経済の成長回復には、企業の活性化を含めて総合的な対策が必要だ。

※このコラムは、保険市場コラム「一聴一積」内に、2016年3月24日に掲載されたものです。

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PROFILE

伊藤 洋一(いとう よういち)

伊藤 洋一 (いとう よういち)

経済評論家

1950年長野県生まれ。現在、(株)三井住友トラスト基礎研究所主席研究員。金融市場からマクロ経済、特にデジタル経済を専門とする。著書に『本当はすごい日本の産業力』(PHP出版)、『グローバル資本主義の未来』(NHK出版)、『日本力』(講談社)、『ITとカースト:インド・成長の秘密と苦悩』(日本経済新聞出版社)、『カウンターから日本が見える』(新潮新書)など。「10代で学ぶ・金融そもそも講座」などに書評、エッセイ、評論などを定期寄稿。

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