社会の在り方を問われ続けた2年間 - コロナ禍が私たちにもたらしたもの(落合 陽一さんコラム - 第1回)

コロナ禍が私たちにもたらしたもの

新型コロナウイルスのパンデミックが始まってもう2年以上が過ぎます。その間、何度も感染の拡大と収束を繰り返し、私たちの働き方やライフスタイルだけでなく、価値観までをも大きく変えました。このコラムでは、「コロナ禍が私たちにもたらしたもの」というテーマのもと、新型コロナウイルスが社会や人間に与えた影響や変化について、僕が感じていることをお伝えします。

デジタル化や働き方改革などの課題改善につながったコロナ禍

まず、結論から言うと、新型コロナウイルスの存在は、以前から予想していた未来の社会の実現を加速させてくれたと考えています。もちろん、この感染拡大自体は人類にとって災厄にほかなりません。多くの人に不幸をもたらし、いまだ悲しみや苦しみを抱えている人もいるでしょう。でも、この感染拡大がもたらした社会全体の変化自体は、僕はポジティブに受け止めています。

例えば、日本社会の最大の課題だったデジタル化が一気に進みました。あれだけ日本の企業風土になじまないと言われていたテレワークが、今では当たり前のものになっていますし、それまでメンバーシップ型が中心だった日本の企業でさえも、ジョブ型の組織への変化が加速しています。MITなどでは非常に盛んだったオンライン授業は、これまで日本の大学ではなかなか普及しなかったのですが、コロナ禍においてはスタンダードな手法となっています。

コロナ禍で進んだオンライン化やデジタル化は、2000年代から議論されてきた日本の生産性やワークライフバランスの課題を大きく改善してくれた面があります。これまで直接会って行うものとばかり思い込んでいた会議や打ち合わせの多くが、実はオンラインでも問題ないことに既に多くの人々が気づいています。オンライン化やデジタル化によって、他人に邪魔されることなく自分のペースで作業できるようになったり、移動の時間や無駄な会議が減ったことで、仕事の生産性も大きく上がったりしたのではないでしょうか。

2018年くらいに、仕事と生活の一体化が進み、どこまでが仕事でどこまでが生活なのか判別できないようにITがしてくれるのではないかという、いわゆる「ワークアズライフ」という考え方を提唱したんですが、それが現実になってきました。働く場所が家になったり、テレワークで働く人によっては子守りをしながら働いたりと、職場や生活環境が変わってきたというのは大きい出来事だと思います。地方に本社を移す企業、社員の居住地を問わない企業が現れ、東京から地方へ移住する人も増えています。東京一極集中という状況の改善にもこのコロナ禍は作用しています。

アートやエンタメ分野でも、デジタル化に活路を見出す動きが進んでいる

もちろん、アートやエンタメなど体験価値を提供してきた分野にとっては大変過ごしにくい2年間だったと思います。2020年には演劇や音楽イベントなどのほとんどが休止となり、エンターテインメント業界は大きな打撃を受けました。その後、映画や展覧会など感染リスクが低いものから順番に再開されましたが、以前のような状態にはまだ戻っていないですよね。

ただ、それを補う新しい動きも生まれています。例えば、アート界ではNFTが非常に流行っています。僕も最近はNFTで作品を売ったり、購入したNFTを作品のなかに取り込んだりするようなことをしています。最近はデジタル技術が進み、ディスプレイの解像度も良くなったため、デジタルアートが以前より展示しやすくなりました。そのためフィジカルに展示しているデジタルアートをNFTで売るような取り組みも行われています。

コロナ禍によってフィジカルな場が制限された分、オンラインやデジタルの世界に活路を見出そうとしているアーティストたちも増えています。既にアートもエンタメも、デジタルとフィジカルなどを組み合わせ、全体でポートフォリオを組むような考えへと移行しています。

また、メタバースが注目されているのも、コロナ禍による自粛生活が続いたことと無関係ではないでしょう。もう少し先にはなると思いますが、将来的にはほとんどの会議や人とのコミュニケーションが、メタバース上で行われるようになるのではないでしょうか。最終的にどこが勝つかはわかりませんが、世界中の企業がメタバースの領域で競って投資をしている状況は、至極当然なことのように思えます。

落合 陽一(おちあい よういち)_ochiaiyoichi1-1

(C)落合陽一《Re-Digitalization of Waves》2022年/ Study:大阪関西国際芸術祭

SDGsや脱炭素の流れとともに、人類はこれからますます移動しなくなる

最後に、コロナが私たちに与えた影響で、僕が最も重要だと考えているのが、人類が移動をやめたことです。正確にいえば、人類の定住を加速させたことです。

80年代にビデオ・アーティストのナム・ジュン・パイクが「定住する遊牧民(ステーショナリー・ノマド)という概念を提唱しました。彼は「60キロの体を動かすために石油を使って300キロの車を動かすことは愚かだ」と批判し、「世界中の人が電子情報によってコミュニケーションできるようになれば石油問題は解決する」といった意味のことを言っています。現在のSDGsや脱炭素などのトレンド、テレワークやメタバース、NFTの普及を予言したような言葉です。

人類は歴史を通じて、基本的には動かない方向へ進化してきました。狩猟採集をしていた頃の人類は日々、膨大な距離を歩いて移動していました。しかし、その後に農耕のために定在を始めます。工業社会となり、知的生産が価値を生む時代になると、人はどんどん体を動かさなくなりました。

1960年代から現在に至るまで、人は飛行機や車などを使って活発に移動していました。でも、これは長い人類の歴史からみれば、ごく例外的な期間になるのではないかと思います。この時代にそんな滅茶苦茶なことをしたため、二酸化炭素の排出量が増え、地球環境が危機的な状況になってきたのです。その反省から今、世界は脱炭素の方向へ向かっています。二酸化炭素の排出量を抑えるには、飛行機や自動車による移動を減らすのが一番です。パンデミックはそのような環境意識の高い一部の人のライフスタイルを、加速させて一般化したともいえます。

僕は以前から、SDGsや脱炭素の流れを考えると、人類は長期的には今より動かなくなっていくだろうと思っていました。もちろん、コロナ禍によってそれが加速されることになるとまでは予測していませんでした。ただ、脱炭素の潮流やテクノロジーの進歩を考えれば、今後も人類はますます物理的には動かなくなっていく、また動く必要がなくなっていくのではないかと思っています。

これまでの話からわかるように、コロナ禍は社会を大きく方向転換させたわけではありません。これから社会が向かうべき方向へ進化を加速させたに過ぎません。そう考えれば、僕たちはもはや「withコロナ」や「ニューノーマル」といった状況をデファクトスタンダードとして受け入れて、生きていくべきではないでしょうか。次回のコラムでは「ニューノーマル」について、さらに詳しく掘り下げたいと思います。

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PROFILE

落合 陽一(おちあい よういち)

落合 陽一(おちあい よういち)

メディアアーティスト

1987年生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了(学際情報学府初の早期修了)、博士(学際情報学)。筑波大学デジタルネイチャー開発研究センター センター長、JST CREST xDiversityプロジェクト研究代表。これまで筑波大学学長補佐、内閣府知的財産戦略ビジョン専門調査会委員、大阪・関西万博テーマ事業プロデューサーほか、多数歴任。Prix Ars Electronica、EUのSTARTS Prizeほか、アート分野・テクノロジー分野で多数受賞。メディアアーティストとして個展も多数開催し、多種多様な展示会にも数多く出展。著作に『魔法の世紀』、『デジタルネイチャー』など。

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