オンラインでのコミュニケーションが人類に与える影響 - コロナ禍が私たちにもたらしたもの(落合 陽一さんコラム - 第2回)

コロナ禍が私たちにもたらしたもの

前回のコラムでは、コロナ禍が社会や人々に与えた影響や変化について、僕が感じていることをお伝えしました。今回のパンデミックは人類にとって大きな災厄に間違いないですが、社会が向かうべき方向性が示されたという一面もあり、この変化を受け入れ、「withコロナ」や「ニューノーマル」を生きていくべきだという趣旨でした。今回は、この「ニューノーマル」という言葉について、さらに掘り下げていきます。

ニューノーマルの流れにあらがう必要はない

ニューノーマルという言葉ですが、実はコロナ禍が始まる前からありました。とくにリーマンショック以降のアメリカで、従来の物質主義や拝金主義を反省し、より物質的でない持続可能な社会を形成する新たな価値観やライフスタイルを模索するなかで使われてきました。例えば、アメリカの社会学者、リチャード・フロリダは『グレート・リセット』という著書のなかで、新しい価値観に基づいてクリエイティブに生きていく人々のことをニューノーマルと呼んでいます。

今の日本では、コロナ禍によって変容した価値観や生活スタイルのことをニューノーマルと呼ぶ場合が多いようです。「ニューノーマル=新しいノーマル」なのだから、既に当たり前になったこととして捉える感覚が必要です。まずは、ニューノーマルを現在の標準として受け入れ、そのなかで何ができるかを考えていきたいですね。例えば、現在、世界的な大きな流れとなっているフィジカルからオンラインへの流れを元に戻すことは誰にもできません。この流れにあらがっても、決して幸せにはなれないでしょう。ところが、日本では変化のデメリットにだけ目を向けて、昔の状態へ戻そうとする傾向があるように感じます。せっかく新たな方向に進む機会なので、デメリットを何らかの方法で補いながら、メリットを積極的に享受していこうという姿勢を持つべきだと思います。

家にいながら、世界中の人と気軽に顔を合わせながら、以前よりも効率的に仕事を進められる。地方で暮らしながら、首都圏の相手と仕事ができる。そんなニューノーマルの環境の方が、以前よりも僕は好ましいと思っています。

言語中心のオンラインコミュニケーションには弊害もある

ニューノーマルの時代は、コミュニケーションの取り方も大きく変わります。ビデオ通話が当たり前になったことで、海外や遠方の人とちょっとした用でも簡単にやりとりができるようになりました。オンラインの商談や打ち合わせも、すっかり当たり前になっています。オンラインでの飲み会も、人によっては暮らしに定着しているかもしれません。多くの人が、オンラインでのコミュニケーションの特徴やメリットに気づいたのではないでしょうか。

細かい感情や言葉のニュアンスを伝えられないという人もいますが、これは今後、VRやARのテクノロジーなどの進歩で、ある程度は解決できると思います。ただ現状のオンラインツールでは、どうしてもバーバル(言語)コミュニケーションが中心となります。オンライン上で発言しない人よりも、言語を使ったコミュニケーション能力に優れた人の方がビジネスでは評価を得やすいかもしれません。

ただ、会議で言葉を発しなくても、存在そのもので雰囲気や空気感をつくりあげることも一つの能力で、その人の立派な価値です。でも、オンラインでは雰囲気や空気感を伝えにくいため、そのような人たちの価値が低く見えてしまいます。これはちょっと問題だと僕は感じています。人間のコミュニケーションのうち、9割は言語によらないノンバーバルコミュニケーションだと言われています。それなのに言語だけが強調されると、コミュニケーションとしてはいびつなものになってしまいます。想定外のことや新しいアイデアが生まれにくくのなるのではないでしょうか。よって、今後も重要な場面でリアルに会うということのニーズは完全になくなることはないでしょう。

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(C)Yoichi Ochiai

オンラインの時代でも、身体を手放せない人類

ニューノーマルの世界では、オンラインによるコミュニケーションがメインになります。そうなると、私たちの身体性をどのようにオンラインに変換するかが重要な課題となってきます。例えば、オンライン会議の普及で気づき始めた人もいると思いますが、オンライン会議はこれまでの私たちの映像体験とは根本的に異なります。映像には、基本的に撮る者と撮られる者、撮影者と被写体が存在しました。ところが、オンライン会議ではカメラを置きっぱなしでしゃべり、撮影者はいません。

つまり、オンライン会議の映像は、われわれの身体の一部を投影しているということです。自分の体や特徴、アイデンティティがデジタルに変換され、フィジカルな身体と同じように機能しているのです。さらに、今後活用が期待されているメタバースでは、自分の身長や体格、顔や性別を自由に設定し、本来の自分とはまったく異なるアバターを通してコミュニケーションができます。人間が身体性から解放され、デジタル上で今までにないコミュニケーションの方法を模索できるようになったのです。

前回のコラムでも触れましたが、人はこれからどんどん動かなくなります。動く必要がなくなるからです。家にいながら何でもできるようになると、私たちの体はどんどん退化していきます。よって、ニューノーマル最大のデメリットは、生活習慣病が増えることだと僕は考えています。われわれ人類は狩猟採集していたころと遺伝子的にはほとんど変わっていません。定期的に運動し、いろんなものをバランスよく食べないと健康を維持できない身体を持っています。よって、移動しなくなり、まったく運動しない人が大量に出てくると、深刻な健康被害を巻き起こすのではないかと思っています。

もう一つ、ニューノーマルの時代になっても、人間は身体性や質量への憧れはきっと持ち続けることでしょう。僕は「質量のあるものは壊れるが、質量のないものは忘れる」と昔からよく言ってきました。物質的なものはいつか壊れてなくなりますが、いつまでも人の記憶に残りやすい。デジタルデータは半永久に消えないものの、記憶に残らず、忘れやすいのです。今後、人類が自分の体をデジタルに変換していくなかで、どこまで自身の身体性や物資、質量にこだわり続けられるのか。ここにこそ、人類が考えるべきニューノーマルの最大の問いがあるのではないかと思っています。

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(C)Yoichi Ochiai

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PROFILE

落合 陽一(おちあい よういち)

落合 陽一(おちあい よういち)

メディアアーティスト

1987年生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了(学際情報学府初の早期修了)、博士(学際情報学)。筑波大学デジタルネイチャー開発研究センター センター長、JST CREST xDiversityプロジェクト研究代表。これまで筑波大学学長補佐、内閣府知的財産戦略ビジョン専門調査会委員、大阪・関西万博テーマ事業プロデューサーほか、多数歴任。Prix Ars Electronica、EUのSTARTS Prizeほか、アート分野・テクノロジー分野で多数受賞。メディアアーティストとして個展も多数開催し、多種多様な展示会にも数多く出展。著作に『魔法の世紀』、『デジタルネイチャー』など。

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