
このコラムでは、コロナ禍が社会や人々の働き方、生き方に与えた影響について僕が考えていることを伝えてきました。コロナ禍は社会が向かうべき方向に導いた。それに伴うデジタル化やニューノーマルについては、ポジティブに受け止めたほうがいい。そう僕は考えています。最後に、これからの時代における企業の生存戦略や個人の生き方について、お話しします。
デジタル化は必須だが、覚悟を決めてあえて背を向けるのもひとつの選択肢
前回のコラムでもお伝えしたように、これからの時代は企業も個人も、ニューノーマルを常態としてやっていくことになります。そして、これからの社会で成長しようとするなら、個人も企業もデジタル化やオンラインツールの活用は必須となるでしょう。
日本ではコロナ禍前から、いずれ大幅な人手不足になることが予想され、IT化やDXが叫ばれていました。ところが、日本社会のデジタル化はいっこうに進む気配がありませんでした。保健所が濃厚接触者の状況を掌握するのにFAXを使っていた、なんて笑えない話もありましたね。いっぽう隣国の台湾では、30代の若きデジタル担当大臣がスピーディーに情報を吸い上げたり、マスクの在庫状況をリアルタイムで表示するツールを作り上げたりして、感染拡大の防止に貢献していました。
これらの状況から多くの日本人は、自分の住んでいる国がいかにIT後進国であるかを痛感したことでしょう。その気づきを与えたこと自体は、コロナ禍による怪我の功名だったと思います。さすがに、今では政府や企業もそのことを自覚し、今はどこもかしこもDXを叫んでいます。ただ、必ずしも日本の全ての企業や国民がデジタル化に対応しなくてはならないというわけでもありません。
例えば、今はデジタルの時代だからといって、パテック フィリップやブレゲのような昔から存在している機械式時計メーカーが、デジタルウォッチを製造しなくてはならないわけではありません。他の追随を許さない圧倒的なブランド価値をつくりあげることができていれば、ビジネスとして十分やっていけるのです。しかしながら、それが残存市場となっていくのか、今後のテクノロジーと合流するブランドになっていくのかというのは、重要な観点のように思えます。
フィルムカメラとデジタルカメラの関係性のように、機械式時計のような古いテクノロジーは淘汰されていくかもしれません。ただ、その市場で生き抜く覚悟を決めれば、デジタル化の道を辿らないというのは必ずしも悪いことではありません。その場合、現在の資本主義社会において、長期的には衰退に向かっていくかもしれません。そのことに対する覚悟は必要になるでしょう。
個人が生産性をどこまでも上げられる時代になり、格差がますます広がる
コロナ禍でオンラインでの会議や打ち合わせが増え、どこにいても仕事ができるようになりました。オンラインで仕事をすることの一番いい点は、移動時間が不要になることです。例えば、僕はコロナ禍により、1日に入れられるミーティングや取材の数が膨大に増えました。移動時間ゼロで隙間なくスケジュールを組めるようになったからです。
今まででもっとも予定を詰め込んだ日で、朝6時30分から深夜25時30分まで1日に38本のミーティングをこなしたことがあります。さすがにこれはやり過ぎですが、ざっくりした感覚で、今はコロナ禍前の7倍くらいの仕事量をこなしている気がします。こんなことは、リアルに会うことを重視していた以前の社会では絶対に不可能だったことです。
ビジネスパーソンのみなさんも、儀礼的に自分の身体を使う時間は減ったのではないでしょうか。顧客に直接会わずに商談できるなら、1日に今までの何倍もの件数の商談をこなせます。空いた時間で副業をしたり、会社の枠を越えた新しいチャレンジをしたりできます。
いずれメタバースの時代が来れば、自分のアバターに仕事をさせることも可能になるかもしれません。そうなれば、個人の生産性を無限に上げることができます。コロナ禍では子どものデジタル格差が指摘されました。でも今後は、子ども以上にビジネスパーソンにおけるデジタルスキルの違いが、生産性の大きな差となることでしょう。
ただ、大量の仕事を詰め込められるようになると、気をつけなくてはならないのが質の低下です。自分で対応できる範囲をしっかり見極め、仕事量をコントロールする必要があります。ときには頭を空っぽにする時間も大事です。僕も昔は飛行機のなかで10時間くらい考えごとをすることがよくあったのですが、最近はそのような時間がなくなってしまいました。そこで、今は地方などに仕事で出かける際は、移動時間にゆっくりものを考えられる時間を意識的に持つようにしています。
努力を苦ともしない、情熱を持てることに集中しよう
これからの時代、あらゆる生産活動がデジタルとリアルの融合によって行われるようになっていきます。これまで人間がやっていた仕事は、どんどん機械に代替されていきます。現在、ホワイトカラーが担っている仕事のほとんどは、AIやITシステムによって行われるようになるでしょう。つまりは個人が組織的仕事と同じような力を持つようになります。ビジョンを持っている人は突き進むことができる。
ではフォロワーシップに優れた人材もしくは未だビジョンのない人はどうなるでしょうか。そこでは人間がやるべき仕事は何かが問われてきます。個人においても、デジタルの世界とどう向きあい、何をするかを考えなくてはならなくなります。コロナ禍でリモートワークや業務のデジタル化が進んだことで、企業においては無駄な会議や業務などがあぶりだされ、効率化が進んだ面があります。経営人材でなくても、自分の強みを見つめ直し、自分がやらなくてもいいことはやらない。それによって生まれた時間で、自分が本当にやるべきことに専念する。また、新しいことに挑戦する。そんな姿勢が大事だと思います。
ところで、人間だけにできることというと、たまに「根性」や「気合」というワードを挙げる人がいますが、これは大きな間違いです。電気さえあれば、どんなハードワークも疲れ知らずに24時間働き続けるAIに、「根性」や「気合」で勝てる人間は一人もいません。そもそも人間においても「根性」や「気合」が必要なのは、与えられた仕事に対して自分の能力が足りていない場合だけです。プロフェッショナルなら、要求されるレベルの仕事をストレスなく、淡々とこなせるでしょう。ただ、そういった寝業的な同調と説得にはマンパワーがかかる。ここが面白いところです。
先日、仲のいい天才プログラマーと話していて、「論理で考えている限り、生産性は上がらない。音楽を奏でたり鼻歌を歌ったりするように、無意識にできる仕事のみに集中すべきだ」という話で意気投合しました。苦手なことを克服しようと努力している人間は、得意なことを楽しんでやっている人間には敵いません。いろんなことに挑戦してみるのはよいことですが、いつの間にかやらなくなってしまったようなものは、無理して続ける必要はないと思います。
いずれにしろ人間にあるものはモチベーションです。「これに関しては何時間でもしゃべられる」といったような、圧倒的なこだわりや情熱を持っている人。「この世界をこんな風にしたい」との独自の世界観や強い思いを持っている人は、これからの時代も強いし、活躍していけるのではないでしょうか。もしくはそれに同調し共感し支える。そういうフォロワーシップも大切な能力になっていくと思います。
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PROFILE
落合 陽一(おちあい よういち)
メディアアーティスト
1987年生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了(学際情報学府初の早期修了)、博士(学際情報学)。筑波大学デジタルネイチャー開発研究センター センター長、JST CREST xDiversityプロジェクト研究代表。これまで筑波大学学長補佐、内閣府知的財産戦略ビジョン専門調査会委員、大阪・関西万博テーマ事業プロデューサーほか、多数歴任。Prix Ars Electronica、EUのSTARTS Prizeほか、アート分野・テクノロジー分野で多数受賞。メディアアーティストとして個展も多数開催し、多種多様な展示会にも数多く出展。著作に『魔法の世紀』、『デジタルネイチャー』など。
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