会社員に転身し、失敗を武器に-人生のピークは未来にある(G.G.佐藤さんコラム-第1回)

G.G.佐藤(じーじーさとう)

僕はよく「あなたほど波乱万丈な野球人生を送った選手はいない」といわれます。プロ野球選手時代、絶頂期には年俸1億円以上を稼ぎ、セ・パ両リーグを通じて最高得票でオールスターゲームに選ばれました。でも、けがに悩まされ、2軍でくすぶっていた時期も長い。何より4度の戦力外通告、クビを経験しています。北京五輪という晴れ舞台でとんでもないミスをしたこともありました。

そんな僕は、36歳でプロ野球界を引退し、サラリーマンになりました。父が創業した測量、地盤改良工事を行う会社「トラバース」で働くことにしたのです。畑違いのビジネスの世界に転身して4年。その中で僕が感じたこと、発見したことをお話しします。

分からないこと、できないことだらけだからこそ面白い

現在、僕はトラバースで千葉営業所所長という責任ある立場を任されています。60人の部下をまとめるとともに、自ら営業や現場の立ち会いも行っています。忙しい毎日ですが、野球選手時代にはなかったやりがいを感じています。

僕が千葉ロッテマリーンズから戦力外通告を受けたのは、36歳のときでした。2軍での日本一に貢献した直後だったとはいえ、覚悟はしていましたし、選手としてのピークが過ぎていたことも自覚していました。選手時代の最後のほうは、技術的な追求をし尽くし、体力も衰え、現状を維持するのが精一杯でした。永遠にレベルの上がらないロールプレイングゲームをひたすらやっているような状態だったのです。

ところが引退し、会社員となったことで状況は一変しました。野球選手としての経験や実績はリセットされ、ゼロからのスタートになったからです。ビジネスマナーやパソコンの操作など、分からないことだらけです。最初は戸惑いましたが、毎日吸収することがたくさんある。レベル1から一歩一歩自分が成長していることを実感できる。そんな日々はすごく充実していました。子どものころ、初めてキャッチボールをしたり、ホームランを打てたりしたときのワクワク感を再び取り戻すことができたのです。

最初は素人だったので、現場で「もっと勉強してこい!」と怒鳴られることもよくありました。ただ、僕は野球選手時代から分からないことや悩みは、素直に周りの人に聞くタイプでした。仕事でも「分からないので教えてください」と貪欲な気持ちで臨み、少しずつ仕事の知識やノウハウを増やしていきました。

これまでさまざまな野球選手を見てきましたが、どんなに才能があっても自分のやり方に固執し、人の意見を聞かない人は成功していません。プロ野球選手の多くはもともとスーパースターで、プロになって初めて挫折を味わう人が多い。そのとき、人の意見を柔軟に取り入れ、自分のスタイルを変えられるかどうか。それがその後、プロで活躍できるかどうかの分かれ目となります。僕の場合はもともと野球エリートではなく、自信もなかったので、最初から自分のスタイルへのこだわりはなかったんですけどね。

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野球時代にはなかった、仲間と達成感を分かちあえる喜び

会社員になってすごくうれしかったのが、みんなで仕事の喜びや達成感を分かちあえることです。野球はチームスポーツですが、個人競技に近い側面があります。競争が激しく、成績が収入に直結するプロの場合はなおさらです。

プロ野球選手はたとえチームが勝ったとしても、自分が活躍できなければいずれはクビになってしまいます。その不安と常に戦っています。チームメートもライバルです。正直、自分と同じポジションの選手の調子が悪いと、心の底で喜んでしまうようなこともありました。会社員になった今と比べると、現役選手時代はすごく孤独な毎日を送っていたと思います。

逆に会社は、一人の人間がいくら頑張ったところで、大した成果は出せません。大勢の人が力を合わせて頑張ることで、初めて結果を出せます。例えば、今度はあの会社さんに営業をしようと、みんなでアイデアを出しあって、試行錯誤を重ねる。その結果、受注につながったときは、みんなで抱き合うようにして喜びます。会社員になって組織として戦う喜び、面白さをすごく感じるようになりました。

失敗、挫折はすべてプラスに、武器にすることができる

プロ野球時代の経験が生きているな、と思うこともあります。それは失敗から学ぶ姿勢が身に付いていることです。どんな一流バッターでも打率は3割ほどで、7割は失敗します。だから失敗して落ち込むような精神のもち方ではやっていけません。失敗と向き合い、失敗を生かすことが何より大事なのです。今、僕が仕事で失敗しても、これは成功への材料だと自然に思えるのは、野球を通してそのような訓練を受けてきたからだと思います。

特に僕は、人一倍、失敗や挫折の多い選手でしたからね。2008年の北京五輪の大事な試合で、何でもないフライを落としてチームの敗因を作ったときは、妻に「死にたい」とメールを送るほど落ち込みました。でも今では、あの失敗さえ仕事の営業のためのネタに使っています。会社の野球チームでお客さまのチームと試合をしたときなど、わざとフライを落としてあげたりすると、すごく盛り上がるんです(笑)。

4回も戦力外通告を受けた経験も、今の僕にとっては強力な武器です。うちの会社は家が傾かないための地盤改良工事を行っているのですが、お客さまにはよくこう言います。「僕は4回チームをクビになって、野球人生は傾きましたけど、お客さまの家は絶対に傾けません」と。お客さまは大笑いして、距離が一気に縮まります。

仕事でも人生でも、失敗や挫折、つらいことはたくさんあります。でも僕は、人生で起きたことは、どんなことでもプラスに転換できると信じています。どんなに大変なことが起きても、それを武器にすることができる。そう思えれば、怖いものなどありません。もともとネガティブだった僕がそのような境地になれたのも、野球選手時代に誰よりも失敗や挫折をし、どん底を味わったからです。当時は死ぬほどつらかったけど、今はそのことに感謝しています。

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PROFILE

G.G.佐藤(じーじーさとう)

G.G.佐藤(じーじーさとう)

元プロ野球選手

1978年千葉県生まれ。高校は甲子園に縁がなく、大学でも補欠。単身渡米するがマイナーリーグは3年で解雇。帰国後、埼玉西武ライオンズにドラフト7位指名。入団後は試合後のお立ち台で「キモティ~!」と叫び人気者に。2008年オールスターファン投票でセ・パ通じての最高得票数を獲得して選出。同年、北京五輪準決勝の韓国戦で2つのエラー。3位決定戦でも落球して「メダルを逃した戦犯」として大バッシングを受ける。2011年、埼玉西武から戦力外通告を受け、翌年イタリアでプレー。その後、千葉ロッテマリーンズにテスト入団し日本球界復帰。波瀾万丈の野球人生を送る。現在は実父が社長を務める株式会社トラバースにて、営業所の所長として活躍中。

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