空爆体験で学んだ生きることの大切さ-笑いの世界で生き続けること。(林家 木久扇さんコラム-第3回)

林家 木久扇 (はやしや きくおう)

どうも、林家木久扇です。1960年(昭和35年)に桂三木助門下に入門して以来、噺家として今まで長い間、仕事を続けてきましたが、2000年の胃がん、2014年の喉頭がんの発症という病気により、仕事継続の危機、さらに人として生きることの危機に直面しました。でも実際、当時の僕は周りが思うほど病気に対してそんなに深刻ではなかったんです。それは生きることへの思いに対して幼年期に体験した東京大空襲が大きく影響していると思います。今回は、そんな幼年期の経験から得た、病気との向き合い方などを、僕、林家木久扇ならではの経験談を語らせて頂きたいと思います。

林家 木久扇 (はやしや きくおう)

大空襲を生き抜いたからこその“生”

前々回、2000年の胃がんについてお話ししましたが、この時は今のように“がん”イコール“死”というイメージは無かったんです。かみさんや家族がどう思っていたかは分かりませんが、僕はそんなに深刻には考えてなかったんですね。それは、1944年から始まった東京大空襲を経験していることが大きいと思います。とにかく、その当時は毎日火事。寝ていると、こっちの障子が明るくなったから茅場町(かやばちょう)がやられた、別の日はこっちが明るくなったから向島(むこうじま)の方に焼夷弾が落ちたって。毎晩本当にすごかった。きのうまで学校に来ていた友達が焼け焦げて、お亡くなりになることなんて日常でしたから。「この修羅場を生きて来たんだから、胃がんぐらいじゃ死なない」という変な自信があったんですよ(笑)。実際、生きてますし(笑)。ただ、その後は、病気に対して気を使いましたね。僕の父親が58歳で、がんで亡くなっているんですが、自分がその歳に毎年近づいていくのが怖かったです。さらに、顔見知りの噺家さんや仲のいいタレントさんが、次々にがんで命を落としていく。いや、ほんとうに次は自分の番か?と不安になることもありました。ただ、父親の年齢を超えたときに、何か“ほっ”と安心したことを覚えていますね。「この歳を過ぎても大丈夫なんだ」と妙な安心感でした。

疎開先での経験で花開いた多彩な才能

だからこそ2014年に喉頭がんを発症したときのショックは、ほんとうに大きかったです。だって、自分の体に対して気を付けていたのに、がんになっちゃった。しかも、噺家としては最悪の喉頭がんって。もう、お先真っ暗ですよ。ただこの時も、僕を助けてくれたのは、戦争時の体験だったんです。東京から青森に疎開していた時、友達なんてすぐに出来ないじゃないですか。特に東京から来た僕はいじめの格好の的で、案の定いじめられていたんですよ。そんな中、当時人気だった戦車の絵を描いたところ大好評で疎開先の子どもとも仲良くなることが出来たんです。この時、絵やイラストを描くことの喜びを肌で感じることが出来ました。だからこそ、喉頭がんで声が出ないとき、この時の経験を活かしたイラストや文章を書くことで声が出なくても収入の一部を得ることが出来たんです。声が出るようになった今でもイラストや文章を書くお仕事も続けていますが、今の一押しは僕と息子、さらに孫の三世代で発表した「空飛ぶプリンプリン」(NHKみんなのうた)なんです。作詞やイラストをすべて担当させてもらっています(笑)。

がんに悩む方々へのメッセージ

2回のがんを経験してからは、「濃く生きよう」と考えるようになりましたね。家族や弟子、友人などの支えがあって僕は病気を克服することが出来ました。病院の送り迎えは長女が、先生との対話やお金の出し入れも家族が全部やってくれました。また療養をしているときに気が紛れるようにと弟子たちが映画を観れる家電をプレゼントしてくれたりと、家族や弟子たちがいなかったら僕は何も出来なかったと心から思いますね。

がんの治療中は仕事をすることが出来なかったのですが、その分“考える時間”をもらったのだと思っています。がんになってみると嫌でも自分と向き合う必要が出てきます。がんになって良かったとは思いませんが、家族や弟子の想い、仲間との関係など、病気になってはじめて気づいたことはたくさんあります。

通常の病気とがんの違いは、痛みや自己判断が出来る症状が少ないことです。僕の場合、かみさんが細かく見ていてくれて注意してくれたからこそ2回とも早期で発見することが出来ましたが、一般的にはなかなか見つけることが出来ません。外見的にも変化が少なく静かで気づくことが難しい病気です。しかし、非常に怖い病気なので、定期健診はもちろん、お忙しいとは思いますが、面倒でも検査をちゃんと受けて、自分の体は自分で守るようにすることが必要だと思います。

「笑う門には福来る」、楽しい未来のために!

また、がんと診断されたからといって、静かにベッドに寝ているだけでなく、病気を受け入れ常に前を見て積極的に日々を過ごすことが大切だと思いますね。基本、病気だから…と暗くなっていても良くなることはありませんから。病気だからこそ、どうしたら良くなるか、病院の先生をはじめ家族や周りの方々と相談して明るく積極的に暮らすことが必要だと思います。

「笑う門には福来る」、がんを克服するためには、病気に負けない精神力と病気に取り込まれない広い心をもって明るい未来のために治療に専念していただければと思います。

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PROFILE

林家 木久扇 (はやしや きくおう)

林家 木久扇 (はやしや きくおう)

落語家

1937年東京都生まれ。1956年に漫画家の清水崑氏門下へ入門。1960年に崑氏の紹介で、三代目 桂三木助門下へ入門し、「桂木久男」の名で見習いとなる。1961年三木助氏没後、八代目 林家正蔵門下へと移り、前座となり、芸名を「林家木久蔵」に改名。1965年二ツ目に昇進し、1969年に日本テレビ「笑点」のレギュラーメンバーとなる。1973年真打ちに昇進。2007年には、「林家木久扇」と二代目「木久蔵」の親子ダブル襲名を果たした。現在は、(社)落語協会 相談役、(社)俳人協会 会員、クジラ食文化を守る会 副理事長、(社)日本漫画家協会 参与、(社)日本作家クラブ 評議員、日本トルコカッパドキア親善観光大使など、精力的に活躍中。

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