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「夢」を信じて、完治にたどりついた長い道のり-末期がん「余命0日」からのカムバック(小西 博之さんコラム-第2回)

小西 博之 (こにし ひろゆき)

2005年の年明けに、医師いわく「日本の腎臓がん史上、5本の指に入る大きさ」の腫瘍が見つかった私。絶望的な状況の中、「病気を克服して『徹子の部屋』に出演する」という夢を抱いて大手術に臨みました。そして手術は成功し、5ヶ月後にはその夢をかなえることができました。

強運の持ち主と言われればそれまでですが、強い意思を持つことは病気を克服する大きな力になります。これから私がお伝えする手術から完治までのエピソードをお読みいただければ、多くの方が共感してくださると思います。

小西 博之 (こにし ひろゆき)

「小西を助けるぞ!」の掛け声で始まった大手術

1月14日に末期がんの告知を受けた私ですが、病棟が一杯で入院日は1ヶ月後の2月14日、手術はその2日後に行うことになりました。初めて病院でがんの検査をしたのがクリスマス、入院はバレンタインデーです(笑)。「どちらも幸せにつつまれる日。やっぱり俺は選ばれた人、末期がんでも助かる人だ。完治したら講演のネタにもできるんだから」と私はそれをポジティブに捉えました。そして、仕事をキャンセルすることなく普段通りの生活をしながら、いよいよ手術の日を迎えたのです。

手術室に運ばれた時にはすでに全身麻酔で目が見えていなかったのですが、そこにいる病院のスタッフに私は「先生方、今日は何かのご縁でこの手術室にいると思います。どうか今日一日、命をかけて僕を助けてください。よろしくお願いします」と話しました。手術後に聞いた話ですが、その言葉を聞いて足元のほうにいた看護師さん2人が『コニタン、頑張れ!』と泣き出し、結局はスタッフ全員、涙が止まらなくなって手術の開始時間を遅らせたというのです。

1時間後、執刀医の先生の「行くぞ!小西博之を助けるぞ!」の掛け声とともに手術はスタート。そして9時間半に及ぶ大手術のフィナーレに、先生が『俺はこの小西博之に一生消えない勝利のVサインをつけてやった!』と叫んだそうです。腫瘍を摘出するために切った跡は、私からすれば「U」の字にしか見えないのですが(笑)、先生は「Vサイン」と表現したのです。こうして、がん細胞の摘出手術は成功に終わりました。

術後の経過も非常に良く、4日後のお昼にようやく白湯を口にしました。食べられることの幸せをあれほど痛感したことはありません。その前日から歩いてトイレに行けるようになっていたので、談話室にも足を運び他の入院患者さんたちと会話を楽しんでいました。

その時、私は知らされていなかったのですが、実はリンパが腫れていたそうです。医師が親や事務所の人間を集めて「おそらくそこにがん細胞がある。ゴールデンウィークまでもたないだろう」と説明。それを受けて事務所では葬儀の打ち合わせを始めていたというのです。

お見舞いに来た人たちは5分もたたないうちに「用があるからこれで失礼する」と帰ってしまう。そして、エレベーターホールで泣き崩れたりしていたそうです。今生の別れだと思ったのでしょうね。

1週間後、検査の結果が発表されました。事務所の面々ばかりか他の入院患者まで集まる中、医師の説明は「腫れているリンパにがん細胞は見受けられなかった」というものでした。それを聞いて、今度は嬉しさのあまり全員が号泣しました。「先生、僕は選ばれた人間ですかね?」と聞いたら、「そう思う。医学的にはあり得ないことだ」、そして「神様のおかげだね」と医師は話しました。

翌朝もう一度検査を受けましたが何も問題は見つからず、手術からわずか9日目の2月25日に無事退院することができたのです。

夢がかない「徹子の部屋」でカムバック報告

その年の7月、私は念願であった「徹子の部屋」に出演し、末期がんであったこと、手術を受けて元気になったことを全国の皆さんに報告。カメラに向かっておなかに刻まれた「勝利のVサイン」も見せました。芸能人がテレビで手術の傷口を見せるというのは前代未聞で、「傷を見世物にしている」と辛口のコメントを言う方もいました。でも、「肋骨をはずし、50センチの傷跡を残すほどの大手術でした。いまも腫れがひかないし、神経もありません。それでも命は助かるんですよ」と声を大にして言いたかったのです。

黒柳さんが「最後に何かコメントして」と言うので、「がんは治る病気です。3人に1人が死ぬのではなく、3人に2人が死なない病気なんです」と話しました。そして「ただお金はかかるから、みなさん、保険には入ってください!」とまるで保険の宣伝みたいな言い方をしたら、黒柳さんに「あなた、急に何をおっしゃるの!?」と言われました(笑)。でも、それは偽りのない実感でした。「がんは治る病気だから、あとはお金のことで困らないように備えるべき」と心から思ったのです。

その後も定期的に検査を受けましたが、がんの転移は見つかりませんでした。そして、忘れもしない「その日」が訪れたのです。

目に焼きついた「完治」の文字、そして担当医の涙

手術から5年後、最新の検査結果が書かれた診断書を担当医が私に手渡しました。「(涙で)読めないから、自分で読んでくれ」と言うのです。そこには「異常なし」という文字が連なり、最後に書かれていたのは「完治」という2文字でした。

医師に涙の理由を尋ねると、当初から5年間延命できる可能性はゼロと考えていた先生方は、「今回こそ駄目だろう」と思いつつ検査に臨み続けてきたとのこと。精神的な苦しさから解放され、担当した患者の完治を心から祝福する喜びの涙だったのです。

度重なる奇跡は、夢を信じて自分の病気を受け入れたからこそ起こったものと私は確信しています。最終回となる次回は、そんな私ががんという病気に対して思っていること、特にいまがんの治療中の方にぜひともお伝えしたい考え方をお話しします。

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PROFILE

小西 博之 (こにし ひろゆき)

小西 博之 (こにし ひろゆき)

タレント

1959 年和歌山県生まれ。中京大学商学部商学科卒業。高校の教員免許取得。NHKドラマ「中学生日記」オーディションに合格し体育の先生役でデビュー。その後、バラエティ番組「欽ちゃんの週刊欽曜日」のレギュラーとして抜擢され、欽ちゃんファミリーの一員として、強面とは裏腹に温厚なキャラクターで人気を得る。同番組内でレギュラーの清水由貴子さんと「銀座の雨の物語」をデュエットしヒット。また、「ザ・ベストテン」の2代目司会者としても活躍し、俳優としても多数のドラマ、映画に出演。2005 年、腎臓がんの大手術を受け、90 日間にわたる壮絶な闘病生活を体験。現在は完治し、俳優業と同時に「いのちの大切さ」を伝える講演活動を全国で行っている。

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