がんになってもこれまで通り、何も変わらない-がんと共存する時代(大島 康徳さんコラム-第1回)

大島 康徳 (おおしま やすのり)

私は2016年10月にステージ4の大腸がんを宣告されました。その後の手術で大腸のがんは取り除きましたが、転移したがんが今も体に残っており、現在は点滴と飲み薬による抗がん剤治療を行っています。しかし、私の日常はがんになる前とほとんど変わりません。
 自分ががんになってから、この病気に対する世間のイメージと実態は大きくギャップがあることを感じました。そのことを多くの方に知ってもらいたい。そこで私の体験と思いを、3回に分けてお話させていただきます。

意外と冷静に、素直に受け止められた「がん宣告」

私ががんの告知を受けたのは、2016年10月のこと。その少し前に、妻から「あなたのやせ方が気になるんだけど、病院で診てもらったほうがいいんじゃない?」と言われるようになりました。でも私は当時ダイエットをしていたので、その影響だと思っていました。

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病院嫌いの私は妻と喧嘩にもなりましたが、「かかりつけの先生に血液検査だけでもしてもらったら?」という妻の言葉に後押しされ、ひとまず検査を受けてみることにしたんです。その結果、先生から「肝臓の数値が上昇しているので、精密検査を受けたほうがいい」と言われ、そこで総合病院で改めて検査をしたところ、大腸がんであること、そして肝臓転移の可能性もあることを告げられたのです。

突然のことでしたが、思ったほどショックは感じませんでした。自分でも意外なほど冷静でした。父と兄をがんで亡くしているため、「いつか自分もがんになるかもしれない」という覚悟がどこかにあったのかもしれません。プロ野球解説者である私は、仕事柄よくしゃべる男だと思われがちですが、基本的には“無口な大島”。先生の話をだまってじっくりと聞き、素直に結果を受け止めました。

大事なことは「今まで通りの暮らしを続ける」こと

また私は昔から「がんを告知されたら手術は拒否しよう」と決めていました。大きな手術によって体に影響を与えるよりも、今まで通りの暮らしを続けたいと思っていたんです。私はもう67歳。子どもも成人しています。これから40年も50年も生き続けるわけではありません。だったら、残りの人生は自分のペースで、自分のやりたいことをやって生きたい。私の父親は71歳で亡くなりました。私には、その年齢さえ超えられれば本望だ、という思いもありました。

そこで私は先生に「手術はしたくない」と伝えました。でも先生は「手術をしないと腸閉塞を起こします。そうなったら好きなものを食べて、好きなことをする普通の暮らしもできません。今のあなたなら年齢的にも体力的にも大丈夫なので、手術することをすすめます」と言われました。

食べることが大好きな私にとって、好きなものを食べられなくなってしまうのはとてもつらいこと。また、私が思っていた以上に家族がショックを受け、皆が不安を感じていることが分かりました。家族を心配させ、苦しませてしまっては意味がない。そして自分が食べたいものを食べて、今まで通りの暮らしを続けたい。そのように考え直すようになり、最終的に手術を受けることを決断しました。

2泊3日の検査入院の後、腹腔鏡手術(腹部を大きく切らずに、小さい穴を数か所開けて行う手術)で大腸のがんを取り除きました。私は仕事柄、骨折や打撲などけがのことには詳しいのですが、がんの手術は初めてのこと。その後は、転移部分のがんに対する抗がん剤治療を行うことになりましたが、アスリートの性か、副作用を不必要に我慢してしまい、先生から怒られることもありました。

今は4週間に一度、病院へ外来で通い、抗がん剤の点滴を30分ほど受け、その後の2週間は自宅で飲み薬を飲むというサイクルで治療を行っています。でも、それ以外の時間は、プロ野球解説者として試合や練習を見に行ったり、解説したり、妻と旅行に出かけて過ごしたり、これまでとまったく変わらない暮らしを送っています。私にとって手術は大きな決断でしたが、今まで通り仕事や趣味を楽しめていること。それが一番うれしいですね。

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がんとの付き合い方は人それぞれ。「自分らしく向き合う」ということ

私は必ずしも、がんの根治は目指していません。根治するには転移部分のがんをすべて取り除く必要がありますが、手術を繰り返すことによって体が弱り、今まで通りの生活や仕事ができなくなる可能性もあります。

だから私は、たとえ、がんが体の中にあっても、悪さをしてくれなければそれでいい。がんとうまく付き合っていければいい。そう思っています。もちろん今後、転移部分が悪化する可能性もあります。でも、そうならないかもしれません。未来のことは誰にも分かりません。私は昔から行き当たりばったりの性格で、先のことはあまり考えずに生きてきました。まだ起きてもいないことを思い悩んでも仕方がない。先のことよりも、二度と戻らない「今」という時間を大切にすべきだと思うからです。

人はいつか必ず死にます。自分が日々楽しく暮らせるなら、それでいいと思うんです。私は今でも、お酒だけは控えていますが、タバコは吸いすぎない程度に吸っています。仕事だって、今後もこれまでとまったく変わらずにやっていきます。

もちろん、すべての人が私のようなやり方をすべきだとは思いません。根治を目指して徹底的にがんと闘うという人がいたっていい。私はがんと共存する道を選びましたが、状況は一人ひとり異なりますし、がんとどのように付き合うかは人それぞれです。

がんと自分らしく向き合うこと。それが一番大事なことだと思います。

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PROFILE

大島 康徳 (おおしま やすのり)

大島 康徳 (おおしま やすのり)

元プロ野球選手

1950年大分県生まれ。中日ドラゴンズ(1969~1988年在籍)から北海道日本ハムファイターズ(1988~1994年在籍)に移籍し、当時史上最年長の39歳11カ月で通算2,000本安打達成。豪快にすくい上げるバッティングで本塁打を量産するスラッガーとして、中日・日ハム両球団の主軸として活躍。日ハム退団後、同球団監督を経て、現在プロ野球解説者であり日本プロ野球名球会会員。

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