オリンピックが教えてくれたこと-明日、笑顔でいるために(上村 愛子さんコラム-第2回)

上村 愛子 (うえむら あいこ)

1998年、18歳で長野オリンピックに出場し、その後2002年ソルトレイクシティ、2006年トリノ、2010年バンクーバー、そして2014年ソチ。5大会連続でオリンピックに出場することができました。

上村 愛子 (うえむら あいこ)

長野オリンピック出場に向けて

私がカナダでモーグルに出会ったちょうどその頃、1998年の長野オリンピックに向けて日本チームがモーグルの強化選手を探していました。そして私がお世話になったカナダの知人に、「中高生で良い選手がいないか」と声がかかり、ちょうどそこに、始めたばかりで下手っぴだけど、やる気だけは人一倍ある私がいた(笑)。何度転んでも起き上がり、「怖くないよ、楽しいよ!」とケロッと言う私を見て、「この子だったらモーグルという新しい競技に合うのではないか」と思っていただいたみたいです。

帰国して白馬のモーグルチームに合流して練習を開始し、1か月後には、大会に出場。ジャンプでスピードコントロールができずに大きく飛びすぎてしまったのですが、それが高得点につながり、初めての大会で入賞できた。アルペンスキーは6年間やっても全然上にいけなかったのに、わずか1か月しか練習していないモーグルでは結果が出たことで、ますますモーグルが楽しくなり、それと同時に、優勝できなかった悔しさから「もっと上手くなりたい!」という気持ちも芽生えました。

すべてのタイミングが絶妙に噛み合って、私のモーグル人生がスタートしました。本当に私はラッキーだったと思います。

大好きな母は、一番身近な応援団

私がモーグルをやると母に伝えたとき、母はモーグルがどんなスポーツか全く知りませんでした。でも、「アルペンはやめたけれど、大好きなスキーでやりたいことが見つかって良かったな」と思ったそうです。

しかし、その年に行われたリレハンメルオリンピックを一緒にテレビ観戦したとき、初めてモーグルがどんな競技か知った母は、「愛ちゃん、これはちょっとやめて欲しい」と。話に聞くのと実際に目にするのでは競技の印象が違ったようで、とても怖いものに感じたそうです。そんな母に私は、「このオリンピックのコースを、私だったらどこに板を持っていこうかとか、どう滑ろうかとか、考えながら見ているんだよ。それぐらいモーグルが楽しいし、チャレンジしたい気持ちがあるんだよ」と自分の気持ちを素直に伝えました。そうしたら母は、「わかった、じゃあ応援するよ」と言ってくれたのです。それからずっと、母は私を一番身近で応援してくれる、大切な“味方”です。

初出場の喜びと、メダルへの思い

長野オリンピックは1998年の2月に開催されましたが、私が代表選手に選ばれたのは1月の合宿中。オリンピックのわずか数週間前でした。自分の名前が発表されたときは、頭の中が真っ白になって、喜びと驚きでいっぱいでした。中学2年生でモーグルと出会った私が、わずか4年でオリンピックという大舞台に立つことができるなんて!

長野オリンピックのスタート台に立ったときは、その声援の大きさに圧倒されました。それまでにワールドカップや世界選手権にも出場していましたが、全然雰囲気が違う。大勢の観客が、選手の滑りを一生懸命見て、応援してくれる。自国開催ということもあり、特に日本人選手への声援が大きく、これほどまでに“みんなが味方”だと感じて滑るのは生まれて初めての経験でした。

なにせ初出場なので、“どのようにしたら勝てるか”といった戦術は、一切持っていません。とにかく精一杯ヒザを動かして、怖がらずに楽しんでいこうと、それだけです。そして結果は7位入賞。実はそのシーズンに予選を通過できた試合はオリンピックだけだったので、まさか入賞できるとは思っていなかったから、すごく嬉しかったですね。

でも目の前で、先輩の里谷多英さんが金メダルを獲った姿を見て、初めて「私もそこに立ちたい、メダリストになりたい」と強く思った。“次のオリンピック”の目標が明確になったのは、この瞬間でした。

メダリストになるために、本当に必要なものとは…

3回目の出場となった2006年のトリノオリンピックでは高難度のエアに挑戦しました。当時の私は、他人と違った技を持っていることが自分の武器だと思っていたんですね。誰もできないことをやれば、きっと評価してもらえる。みんながやっていない技と前後のターンを組み合わせた滑りなら、点数が上がると信じていました。しかし、結果は5位。

この大会でメダリストになれなかったとき、気づきました。「どれだけ良いモノを身につけても、基礎の部分、土台に穴が空いていれば評価はされない。派手な技で人目をひくのではなく、まずは安定したベースを作ることが必要なんだ。」そのときの私は、やっている順番が逆だったのですね。勝つために何をしなくちゃいけないのか、ようやく本当の意味でわかった大会でした。3回もチャレンジして、それでようやく気づくなんて……当時は本当に若かったのだと思います。

ヤンネコーチとの出会い

初出場の長野オリンピック以降、メダリストになりたいという気持ちだけでモーグルを続けていたけれど、なかなか目標に手が届かない。何が足りないのだろう……と思い悩むこともありました。常に挑戦を続けているので気持ちは前向きでしたが、それでも苦しくて悔しい気持ちになることが多かった日々。

そんなとき、ヤンネ・ラハテラ氏が私たち日本チームのコーチに就任したのです。ヤンネコーチは、ワールドカップ、世界選手権、そしてソルトレイクシティオリンピックで金メダルを獲得し、モーグル界のトップに立った人です。私は英語がペラペラではないし、ヤンネコーチも選手として戦っているときはとてもストイックで、最初のうちは全く話しかけられなかったのですが、実際に話をしてみたらすごく優しい人。「世界一になるためには、どうすればいいのか」という私の悩みに対して“正解”を持っている人がそばにいてくれたことは、本当に良かったです。技術はもちろん、世界一になる人の心境や考え方など、精神的な部分でも学ぶことが多く、一皮も二皮も剥けるキッカケになりました。ヤンネコーチのおかげで、トリノオリンピックが終わってから4年後のバンクーバーオリンピックまでの間に自分が一気に進化できたし、ワールドカップで総合優勝することもできました。

モーグルを始めてから毎シーズンごとに課題を変えていって、いつも『4年後の自分の姿』を想像しながら、トレーニングを重ねました。もちろん思うようにいかないことのほうが多く、暗いトンネルの中をずっと下を向いて歩いているような感じ。さみしくて辛いけれど、でも、とにかく未来を明るいものとして信じて、努力を続けるしかない。何かをやれば、自分が変わる。すぐに上手くできなくても、やり続けるうちに次のステップに上がれるし、下を見ていては気づけないことも、上を見上げると見方が変わる。そうして光が見えた瞬間は、とてもホッとするし、幸せな気持ちになります。苦しい時間が続いても、「これを頑張ったら、次は何が変わるのかな」と楽しみにする思いがあったから、ずっと続けてこられた。そしてなにより「モーグルが大好き!」という思いが、私を支えてくれました。

残念ながらメダルには最後まで手が届きませんでしたが、メダルを目指してチャレンジを積み重ねたことで、とても多くの大切なことに気づくことができたのだと思います。

※このコラムは、保険市場コラム「一聴一積」内に、2015年11月26日に掲載されたものです。

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PROFILE

上村 愛子 (うえむら あいこ)

上村 愛子 (うえむら あいこ)

元女子モーグル日本代表

高校3年生で長野オリンピックに初出場。2007~2008年シーズンのワールドカップで日本モーグル界初となる年間総合優勝を達成、翌2008~2009年シーズンの世界選手権では2冠に輝くなど、世界No.1の称号を手にする。2009年、アルペンスキーヤーの皆川 賢太郎氏と入籍。オリンピックには5度出場し、1998年の長野オリンピックから2014年のソチオリンピックまで5大会連続入賞という偉業を成し遂げた。2014年に現役を引退。現在はスキー普及活動やイベント・メディアなどに出演し、活躍中。

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